落花流水の如く
(十二)

 それから数日。
 さすがに今回ばかりは、香姫さまのご機嫌を損ねすぎたのか、葵瑛さまは、なかなか香姫さまのおそばに近寄ることを許されておりませんでした。
 そして、ようやく本日、陽楊さまとご一緒ならという条件つきで、訪ねることを許され、やってくることができました。
 香姫さまは相変わらず脇息に肘をつき、ふてぶてしい態度で葵瑛さまをにらみつけておられます。
 陽楊さまも、今回ばかりは、香姫さまのお怒りもごもっともだと、葵瑛さまをかばわれようとはされません。
 ……いえ、もとから陽楊さまには、そのような気はさらさらおありではないのですけれど……。
 香姫さまの横に、やはり当たり前のように陽楊さまが寄り添われております。
 そのようなお二人の前に、葵瑛さまがいらっしゃいます。
 何やら物言いたげに、じと〜と、お二人を見ておられました。
「それで? どうしてまた、このようなことをしたのだ?」
 香姫さまのかわりに、香姫さまがお聞きになりたかったそれを、陽楊さまがお尋ねになりました。
 すると、葵瑛さまはころっと表情を変え、あっけらかんとした口調をお答えになられます。
「あれ? 言いませんでしたか? わたしはまだ認めていないと。香姫殿は、まだあなたのものと決まったわけではないのですよ?」
 葵瑛さまの恐れ知らずなお答えに、陽楊さまはお顔を真っ青にされます。
 そのような陽楊さまにはおかまいなしに、葵瑛さまはたんたんと続けられます。
 香姫さまはというと、まだ葵瑛さまが何をおっしゃられているのか理解しておられないようで、怪訝な顔で首をかしげれておられます。
 葵瑛さまのもしや……?のそのお気持ちには、薄々気づいておられる香姫さまですが、いざそうとなるとやはり……。
 何しろ、今持ち上がっているそのことは、香姫さまのいらっしゃらない時に、陽楊さまと葵瑛さま二人だけでかわされた会話の中でのことでございますから……。
「あくまで入内が決まっただけで、土壇場で取り消しということもおおいにあり得ますよ。そう、たとえばわたしが、こっそりと帝に進言するとかね……? ――まだ、わたしにも望みがあるということです」
 葵瑛さまは、意地悪げなにやりとした笑みを陽楊さまに向けられます。
 陽楊さまときたら、この後の言葉が見つからず、ただ狼狽し、おろおろとされているばかりでございます。
 そのような陽楊さまを、香姫さまは首をかしげて見られます。
 やはりまだ、香姫さまは理解しておられないようで……。
 鈍いにしても程がありますよ、香姫さま!
 はあ〜。それにしても、いつになっても陽楊さまは、この困ったちゃんな宮様にからかわれ、振りまわされ、そしておもちゃにされてしまうのですね……。
 東宮ともあろうお方が、そのようなことでよろしいのでございますか?
「陽楊さまで遊ぶのはそれくらいにして、葵瑛さま。本当のところはどうなのかしら?」
 香姫さまは、じろりと葵瑛さまをにらみつけられます。
 どうやら、さすがにここまで話が進むと、香姫さまも、このお二人が何をおっしゃられているのかわかってこられたようです。
 しかし、葵瑛さまのお答えを聞かずとも、香姫さまには、もうそのお答えがわかっているようではございますけれど……。
 このにやにやとした嫌な笑みを陽楊さまへ向けられる葵瑛さまを見れば、一目瞭然でございます。
「そうですね……。わたしには、他に思う女性がいますからね……?」
 葵瑛さまはふっと遠くを眺めるような目で宙を仰ぎ、そしてすぐに陽楊さまに視線を移し、そうにこりとおっしゃいました。
 すると香姫さまは、やっぱりね……と、疲れたようにため息をもらされます。
 ――ということは、結局、葵瑛さまは、香姫さまや陽楊さまをからかい、その反応を見て遊んでおられただけということでございましょうか?
 それにしては、本当、手の込んだことをして下さいましたよ、葵瑛さま……。
 まこと、香姫さまをお好きなのかどうかは、この葵瑛さまのことでございますから判断しかねますが……。
 今まで、どのような美姫を相手にしても、本気になったことのない葵瑛さま。
 そのような葵瑛さまが、本気になるお相手は、果たしていらっしゃるのでしょうか?
 それが、葵瑛さまのおっしゃるところの、他に思う女性なのでございましょうか……?
 そして、何故、香姫さまは、葵瑛さまのそのようなお言葉を聞き、驚くどころか、納得してしまわれたのでございましょう……?
 ――それは、女性特有の勘というもので、敏感に感じとられていた……ということでございましょうか?
 本当のことは、葵瑛さまだけがご存知でございます。
 陽楊さまは、そうおっしゃられた葵瑛さまを物言いたげに見つめておられました。
 それは、何か……葵瑛さまの秘密を知っている……そのようなお顔でもございました。
 そして、何やら葵瑛さまを心配されている……というようにも、見受けられます。
 このお二人の間には、まだ香姫さまの知らない秘密が、一体どれだけ隠されているのでございましょう。
「それにしても、あなた方、本当に仲がいいわね?」
 陽楊さまの葵瑛さまを心配されているような表情に気づき、香姫さまはおもしろくなさそうにおっしゃいました。
 すると、そのような香姫さまに、葵瑛さまのとんでもない言葉が投げかけられます。
「当たり前ですよ。何しろ我々は、兄弟ですからね」
「え!?」
 香姫さまは思わずがばっと立ち上がってしまわれましたが、にやにやと微笑むその葵瑛さまのお顔をみて、またか……と憎らしげににらみつけながら、また腰をおろされます。
 そして、ぱたぱたと扇であおぎはじめてしまわれました。
 もう葵瑛さまに、まともに取り合う気などないと、そのお体いっぱいで表現されているのでございます。
 その横で、陽楊さまは、何やら困ったように葵瑛さまへ視線を送られます。
 すると葵瑛さまは、「どうぞ。ご自由に。本当のことをおっしゃってください」と、陽楊さまに優しげな微笑を向けられました。
 陽楊さまは、苦笑いを浮かべられます。
「……香子。本当だよ。葵瑛は、わたしの異母兄なのだよ。――まあ、いろいろと事情があってね……」
 陽楊さまはそうおっしゃると、そこで言葉をとめられました。
 さすがに香姫さまも、陽楊さまのお言葉なら疑うことはないだろうと、目を見開き、ごくんとつばを飲み込まれました。
 そのような香姫さまを、陽楊さまは、そっと抱き寄せられます。
 それを、淋しげな表情で微笑まれ、葵瑛さまが見つめておられました。
 どうやら葵瑛さま、重大な秘密……かどうかはわかりませんが、香姫さまになら言ってもいい、そのように思われたのでございましょう。
 いえ、むしろ、香姫さまには知っておいていただきたいと――
 あまりにもあっさりとおっしゃられるので、それが本当のことかどうか疑わずにいられませんが、今の陽楊さまのこのご様子からして――
 香姫さまの後ろで控えていた棗が、ぽつりとつぶやきました。
「今回もまた、今までのものが兵部卿宮さまの仕業だったということは、実はそれほど、姫さまが東宮妃になることを、世の貴族たちは恨んではいないのではないのでしょうか?」
 どうやら棗は、葵瑛さまが今回の一連の犯人だと発覚したその時から、このことを考えていたようです。
 そして、安堵から、思わずそのような言葉が口をついて出てしまったようです。
 棗のその発言に、香姫さまと陽楊さまもそういえばと、葵瑛さまを確認するようにじっと見られます。
 どうやらお二人、そのような大切なことを、きれいさっぱりお忘れになられていたようでございます。
 まったくもう……。ご自分たちのことでございますよ!?
 棗にしては、もちろん、陽楊さまと葵瑛さまが実は異母兄弟かもしれないというその事実よりも、こちらの方が大切だったのです。
 何しろ、香姫さまはこれでも、棗がお仕えしている大切な姫君ですから。
 宮様方のそのような爆弾発言よりも、棗にとっては、香姫さまの幸福こそが、安寧こそが、最優先事項なのでございます。
 棗がそのように申しますと、葵瑛さまはまたしても不気味なにやりとした笑みを浮かべられました。
「ああ、そのことですか。それなら、名だたる貴族の方々に、心をつくして、わたしがお話ししておきましたよ」
 葵瑛さまのその笑顔を見て、その言葉を聞いて、香姫さま、陽楊さま、そして棗の背筋に、ぞぞぞと悪寒が走ったことは言うまでもございません。

 ちなみに、その後の梅若でございますが、裏切ったことがあっさりと葵瑛さまにばれてしまい、きつ〜いお灸を据えられたことは、公然の秘密でございます。

 ――一体、いつになればこの宮様、まともになられるのでしょうか?
 ……そのようなことは、一生あり得ないでしょうけれどね。
 何しろ、東宮など、左大臣の姫君など、おもちゃとしか思っておられない、天下無敵の宮様ですから。


 そうして落ち着きを取り戻した?頃、気づけば梅雨も明け、左大臣邸にさわやかな初夏の風を運んできておりました。
 それは、悠久の歴史の中を吹き抜ける風――


落花流水の如く おわり

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update:03/08/18