花ぞさかりに
(一)

「ああ〜。暇〜……。――もう、ここの生活も飽きちゃったわ。こう刺激が足りないのも、あれよね〜……」
 簀子で、だらりとだらしなく高欄に手をかけ、その上にお顔をのせ、その言葉通り、つまらなそうに頬をふくらませている姫君がおりました。
 ぼうっと、お庭の色づきはじめたもみじを眺めておられます。
 姫君が普段いらっしゃるさるお邸の東の対にも、それはそれは素晴らしいもみじの木がございますが、こちら宇治(うじ)の別荘におかれましても、そのもみじはまったくひけをとってはおりません。
 その姫君は、御名を、香子さまとおっしゃられます。
 愛称でお呼びいたしますと……香姫さまと、おっしゃられましたでしょうか?
 そのような香姫さまのすぐ横に、もの言いたげに、香姫さまをじとりと見つめる殿方がお一人。
 お庭を背に、高欄に腰かけておられます。
 高欄に腰かけ、右ななめ下に視線をやり、このようにずっと、まるで訴えるような視線を香姫さまへ送る殿方。
 御名は、高良親王……。あの葵瑛さまでございます。
 現在、香姫さまと葵瑛さまは、宇治は香姫さまのお父上、左大臣所有の別荘へとやって来られております。
 この宇治と申しますところは、都より少し南へ下ったところにございます。
 また、この別荘のすぐ近くには、川が流れております。
「暇なのは当たり前でしょう? ――まったく、あなたという方は。その場の衝動で、すぐ行動に移してしまうのですから」
 葵瑛さまは扇を取り出しぱらりと開けると、それを口元へとやり、ふう……っと、香姫さまに当てるつけるように、深いため息をもらされました。
「あなたって、ことごとく癪に障る人ね」
 もちろん香姫さまにも、葵瑛さまの嫌味が通じすぎるほど通じておりますので、葵瑛さまをぎろりとにらみつけられます。
「それにしても……今日で何日目でしょうねえ? 宇治(このようなところ) までやって来て。毎日のように東宮御所から謝罪の文を携えた使者がやって来るというのに、それも門前払いになさって……」
 香姫さまににらまれても、葵瑛さまは香姫さまへの嫌味をやめることはございません。むしろ、さらに助長していきます。
 それにしても、本日の葵瑛さま。葵瑛さまにしては、やけに香姫さまにつっかかられているようです。
 普段の葵瑛さまなら、香姫さまをからかってお遊びになることはあっても、つっかかる……ということはなさらないお方でございますのに……。
「だって、あっちが悪いのじゃない! まったく……東宮だからって、何でも許されると思っているの!?」
 がばっと体を起こされ、恨めしそうに葵瑛さまを見つめられます。
 必死に、葵瑛さまに同意を求められているようにもとれます。
 しかし、葵瑛さまのお答えは、香姫さまの期待を裏切るものでございました。
「いや……。あれは、東宮というよりも、むしろ一人の男として……。――はあ。これでは、陽楊に同情せずにはいられませんね」
 葵瑛さまはそうおっしゃると、明らかに陽楊さまに同情し、そして香姫さまを非難するように流し目を送られます。
「どうしてよ!?」
 もちろん、香姫さまはむっとされ、お持ちになっていた扇を、ぎゅっと両手でかたく握り締められます。
 そのご様子を見て、葵瑛さまはわざとらしく困ったようなお顔をされました。
 そして、微笑まれます。
「くすくすくすくす……。ですからね、あなたのそのようなところがかわいいというのです。そして、陽楊に同情してしまうのですよ」
 葵瑛さまはそうおっしゃりながら、すっと腰をまげ、目の高さを香姫さまのそれに合わせられました。
 じっと香姫さまを見つめられます。
 そして、香姫さまの頬に右手をすっとのばされます。
 その時でございました。
「あ……。もみじ……」
 香姫さまはぽつりとつぶやかれ、そして葵瑛さまの手からすっとお顔をそらされました。
 葵瑛さまは不思議そうなお顔をされ、香姫さまの視線の先へご自分の目線を移されます。
 視線を移されたそこでは、香姫さまのお膝の上に、一枚の赤く染まったもみじの葉が舞い落ちておりました。
 それを、香姫さまがすっとつまみ上げられます。
 そして、目の前でくるくるとまわされます。
「ね? 葵瑛さま、もみじ。もうそのような時期なのね?」
 そうおっしゃりながら香姫さまは、微笑を葵瑛さまへ向けられました。何の悪意もない、純粋な、幼い微笑みを。
「まったく……。あなたという方は……」
 これまでのやりとりをきれいさっぱりと忘れてしまわれたのか、香姫さまのそのようなくったくない笑顔を前に、葵瑛さまはもう、苦笑いを浮かべるほかございませんでした。
 これではもう、いじわる心もなえてしまいます。
 すると今度は、ひらひらと、数多のもみじが香姫さまと葵瑛さまのもとへ舞い降りてきます。
 赤く淡い雪の中に、まるでとけ込むような香姫さまのお姿。それは、どこか幻想的に、葵瑛さまの目には映っておりました。
 もみじ舞うそこにいらっしゃる香姫さまのお姿を、葵瑛さまは愛しそうに見つめておられました。
 いつまでも……香姫さまが次にその視線にお気づきになられるまで――


 さて、話は少し前に戻りまして、三日前のことでございます。
 香姫さまと葵瑛さまが、ここ宇治の左大臣家の別荘へいらっしゃり、そしてあの陽楊さまらぶな香姫さまが、陽楊さまの批判をされることになる全ての原因はここにございました。
 時は、辺り一面が赤や黄色に染めつくされる秋。
 ところは、東宮御所……ではなく、何故だか左大臣邸、東の対。
 左大臣邸東の対と申しますと、香姫さまが普段いらっしゃるところでございます。
 入内が決定したとはいえ、まだ入内の日取りまでは決まっておりません。
 そして、この香姫さまも、そのお相手の東宮も、その名を轟かす変わり者でございますから、当然お二人とも静かにお邸におさまっておられるはずがありません。
 しかし、香姫さまとて、それがこと東宮の思しめしとあらば、素直に……とは言いきれませんけれど、もう左大臣邸から抜け出そうとは考えておられません。
 何しろ、この左大臣邸にいさえすれば――
 そして、香姫さまが、そう毎日のように東宮御所へ参内するわけにもいきません。
 ですから、こうして毎日のように、陽楊さまがお忍びで左大臣邸へとやってこられるのでございます。
 そうです。これが、香姫さまがおとなしく左大臣邸におられる最大の理由でございます。
 左大臣邸にいさえすれば、陽楊さまにお会いできるのですから。
 これは当然、左大臣もご承知のことでございます。
 ……いえ、文句はとてつもなく言いたいのですが、相手が東宮でございますれば、それもかなわぬことでございます。
 そして、数日に一度、この左大臣邸東の対へやって来られる方が、東宮の他にも、もうお一方おられました。それが、葵瑛さまでございます。
 左大臣は、やはり葵瑛さまの邪魔をしようと寝殿で足止めを試みられるのでございますが、それはもう相手が葵瑛さまなだけに、最近ではまったくかなわぬこととなっておりました。
 これも、そのような日のことでございます。
「そういえば、香姫殿。たしかこの間、帝の御前で、笹舟の君がどうの……と言っていましたが、それについて詳しく聞かせていただいてもよろしいですか?」
 御簾越しに、簾中の香姫さまを見ながら、突如、葵瑛さまがそのようなことをおっしゃいました。
「笹舟の君……?」
 もちろん、香姫さまは、突然の葵瑛さまのお言葉に、きょとんとされておられます。
「ええ、そうです。たしか、あなたの筒井筒の君だとか……?」
「待て、葵瑛」
 葵瑛さまがそこまでおっしゃると、むすっとしたお顔で、陽楊さまが葵瑛さまをにらまれました。
 陽楊さまは、香姫さま同様、簾中におられます。
 簾中には、香姫さまと、その横に、まるで自分のものと言わんばかりに――まあ、もう、ご自分のものでもよいのですが――陽楊さまが座っておられます。
 そして、少しはなれたところに、棗が控えておりました。
 ただお一人、葵瑛さまだけが、御簾の外、簀子の上に座しておられます。
 この方々の間を御簾で仕切る……というその行為には、何かよからぬ意図を感じずにはいられません。
 そう、たとえば、左大臣のあくまで葵瑛さま排除運動やら、陽楊さまの――
「何ですか? 陽楊」
 葵瑛さまは、扇で口元を隠し、にやりと、お目を三日月状に変形させていかれます。
 その表情を見て、陽楊さまにはもちろん、ぞくぞくっと悪寒が走りましたが、しかし、これだけは言っておかねばなりませんでした。
 ぎろりと、葵瑛さまをにらみつけられます。
「わたしが香子の筒井筒を気にするならわかるが、何故お前が気にするのだ?」
 そうおっしゃると同時に、すっと香姫さまを抱き寄せておられました。
 それを見た棗は、「まあっ」と声にならない声を上げ、楽しそうに微笑んでおります。
 主のラブシーンを恥ずかしがるでもなく嬉しそうに見るとは、棗もまた、典型的な若い女房のようでございます。
 当の香姫さまはと申しますと、どうやらこの後の展開が目に見えておられるようで、ぶすっと目をすわらせて、陽楊さまのなされるがままになっておられました。
 どうも最近の香姫さまときたら、陽楊さまの思うがままの傾向がございます。
 陽楊さまの言いつけを守り、左大臣邸を抜け出して京を徘徊されなくなった辺りが、最大の進歩と言えましょう。
「わたしが気にしてはいけませんか? 陽楊と同じように、わたしも香姫殿のことは気になるのですよ」
 にやにやと、明らかに陽楊さまをからかって楽しんでおられるご様子の葵瑛さま。
「駄目だ。気にすることは許さぬ。香子はお前のものではない。わたしのものだ」
 陽楊さまはそうきっぱりと言い切り、今度はぐいっと香姫さまを抱きしめられてしまわれました。
 明らかに、葵瑛さまにあてつけておられます。
「ちょ、ちょっと、陽楊さま!?」
 さすがに人前でこのようなことをされては、香姫さまも顔を赤らめ、うろたえてしまわれます。
「おや、まあっ」
 目を見開き、わざとらしく驚いたかと思うと、葵瑛さまはくくくっと、必死に笑いをこらえはじめてしまわれました。
 そこでようやく、陽楊さまも、先ほどなさった発言がどれだけ恥ずかしいことか気づかれたようで、かあっと赤面させていかれます。
「くすくす……。陽楊さま。あなたもわたしのものよ?」
 仕舞いには、香姫さままでもそうおっしゃり、うろたえる陽楊さまで遊ばれはじめてしまいました。
 陽楊さまの腕の中で、つんつんと、陽楊さまの頬をつついたりなさっておられます。
 一体、先ほどの恥じらいはどこへ消えうせてしまったのでございましょう。
 どうやら最近では、陽楊、葵瑛連合は解消され、香子、葵瑛同盟が組まれ、ご一緒に陽楊さまで遊んでおられるようでございます。
「もう、いいから、香子まで!」
 つんつんと陽楊さまの頬をつつく香姫さまの指をぎゅっと握り、陽楊さまはさらに香姫さまを強く抱きしめられます。


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update:03/09/29