花ぞさかりに
(四)

 くるくる舞い落ちる、赤いもみじの葉。
 ここ、宇治の左大臣家別荘のお庭にも、もみじの雨が降りやみません。
「それにしても、まこと素晴らしいお庭ですね……」
 葵瑛さまは、お庭を仰ぐように見つめ、ぽつりとつぶやかれました。
「あら? 葵瑛さまも、そうおっしゃってくれるのね?」
 くすくすと笑いながら、香姫さまは手にされていたもみじの葉を、葵瑛さまの烏帽子(えぼし)にすっと飾られました。
「これはこれは、また香姫殿は……」
「くすくす。とても似合っているわよ?」
 香姫さまは、にっこりと葵瑛さまに微笑んでさしあげます。
 すると葵瑛さまは、少し驚いたご様子で、くすくすと笑われます。
「……ごめんね。葵瑛さま……」
 くすくす笑われる葵瑛さまへ向き直り、申し訳なさそうに眉をひそめられます。
「……?」
 葵瑛さまは、今、香姫さまが謝られた理由がわからず、首をかしげておられます。
 そしてまた、あの負けん気の強い香姫さまが謝罪をするとは……と、そちらの方にも、もちろん驚かれております。
 どれほどご自分に非があろうとも絶対に認めず、さらには開き直り、逆切れしてしまうという性質の香姫さまのお口から、まさか謝罪の言葉が出てこようなどとは、誰も思いもよらないのですから、それはもっともなことでございます。
「あら? やはり、葵瑛さまは嫌な人ね? ――わたしも、これでも反省しているのよ? あなたを巻き込んだこと。あなただって、まがりなりにも兵部卿。お仕事だってたくさんあるでしょうに、このようなところへまで引っ張ってきてしまって……」
「おやおや。ひっかかるところはありますが、まさか、香姫殿のお口から、そのような素直な言葉が聞けるなどとは、思ってもいませんでしたよ」
「まったくだわ。意外すぎて、自分でもびっくりよ」
 香姫さまはそうおっしゃると、高欄に手をかけ、そのままひょいっと飛び越え、お庭に下りてしまわれました。
 地面までは人の背丈ほどの高さがあろうというのに、こう軽々と下りてしまわれるとは。
 さすがは香姫さま。その辺りの殿方よりも、よほど男らしい姫君でございます。
 それから、裸足のまま、一歩二歩と歩かれ、そこで立ち止まられました。
 そして、くるりと振り返り、葵瑛さまに叫ばれます。
「ねえ、葵瑛さま。都へ帰ったら、みんなで紅葉狩りへ行きましょう」
 満面の笑みで叫ばれる香姫さまに、葵瑛さまは、これはまた楽しいものを見せていただいたというように、にこやかに微笑まれます。
 ぱらりと扇を開き、そのまま上へ向けられます。
 すると、その上に、ひらひらともみじの葉が一枚舞い降りてきて、ぽとっと落ちました。
 そのもみじの葉を見つめながら、葵瑛さまはおっしゃいます。
「そうですね……。今頃ですと、どの辺りが盛りでしょうか?」
「それは、都へ帰ってから調べればいいわ」
 香姫さまはそうおっしゃると、その場で、まるで舞い落ちるもみじの葉のように、くるくるまわりはじめてしまわれました。
 その身、一身に舞い落ちるもみじをまとうように。
 葵瑛さまは、そのような香姫さまのお姿を見て、こくりとうなずかれます。
 どうやら、香姫さまもまた、そろそろ都が恋しくなってこられたようでございます。
 ――いえ、意地を張っておられるだけで、陽楊さまが……でございましょうか?
「そうそう、香姫殿。退屈しのぎに、おもしろい話を一ついかがですか?」
 扇の上のもみじの葉にふうっと息を吹きかけ、それをふわっと飛ばされました。
 そして。にやりと香姫さまを見られます。
 その葵瑛さまのご様子を見られた香姫さまは、くるくるまわることをぴたっとおやめになりました。
 疑わしげに葵瑛さまを見られます。
「そのような目で見ないでください。本当におもしろいことなのですから。――そうですね、近頃あなたが気にかけておられたこと……。陽楊とわたしが、実は兄弟だという話……」
 にやりと、試すそうに香姫さまへ視線を送られます。
 すると香姫さまは、すっと高欄へ近寄り、手をかけ、背伸びし、葵瑛さまに詰め寄られます。
「本当……?」
 葵瑛さまは相変わらず高欄に腰かけたまま、にやにやと香姫さまを見下ろされておりました。
「ええ、本当ですよ。そろそろ話さねばならない頃かと思っておりましたのでね……。どうです? 興味がおありなら、簀子へ上がり、わたしのもとへ……」
 葵瑛さまは、すっと右手を香姫さまに差し出されます。
 香姫さまは、その差し出された手をじっと見つめ、そしてぱんと軽くたたくようにとられました。
 その拍子に、香姫さまのお体はまたふわっと宙に浮きます。
 そして、こつんという音とともに、そのお体は葵瑛さまに抱きかかえられておりました。
 ふわりと、香姫さまは簀子の上へ下ろされました。
 香姫さまが下ろされたすぐ横には、葵瑛さまの扇が落ちておりました。
 どうやら、香姫さまを抱き上げるために、葵瑛さまは持っていらした扇を落とされたようでございます。
「……はい」
 香姫さまはその扇を拾い上げ、葵瑛さまに手渡されました。
 すると、葵瑛さまはにこりと微笑み、それを無言で受け取られます。
 そしてまた、ぱらりと開けられました。
 それから、もう一度、念を押すように、これから話されるお話の内容を確認されます。
「――以前、ちらりとお話ししたと思います。いとこと言われているわたしが、実は陽楊と兄弟ということは……」
「ええ。ずっと聞きたかったの。……だけど、何だか……触れてはいけないような気がして……」
 香姫さまは扇でお顔を隠し、ちらりと目だけをのぞかされます。
 そのようないつもとは少し様子の違う、控えめな香姫さまを見て、葵瑛さまは珍しそうなお顔をされます。
 まあ、たしかに、このようなどこか奥ゆかしくしおらしい香姫さまなど、珍しく、気持ち悪いですけれど。
「おや? 香姫殿は、いつでも触れてよかったのですよ? あなたはそれが許される身ですから」
「許される身?」
 葵瑛さまの意外な言葉に、香姫さまはきょとんとされます。
 思わず、扇を手から落としそうになられました。
「ええ、あなたはわたしのお気に入りで、そして陽楊の大切な方ですからね」
「そういう言い方は、卑怯な気がするわ」
 落ちそうになった扇をぐっと握り締め、じろりと葵瑛さまをにらむと、ぷうと頬をふくらませてしまわれました。
 このお顔は、香姫さまお得意のお顔でございます。
 気に入らないことやおもしろくないことがあれば、すぐにすねてしまわれるのです。
 普段、気位だけは高い香姫さまですのに、気心の知れた方を前にすると、こうして素のお顔をお見せになるのです。
 ですから恐らく、葵瑛さまも、それは嬉しいと感じておられるはずでございます。
 普段、人を見下すような視線を向ける香姫さまが、甘えるようなしぐさをなさっているのですから。
 やはり、殿方というものは、甘え上手な女性には弱いものなのでしょうか?
 ――そうではなく、陽楊さまと葵瑛さまは、香姫さまだから弱いのでしょうけれど。
「くすくす、そうですよ。わたしは卑怯な男です。だけど、事実なのだから仕方がないでしょう?」
「もう!」
 香姫さまは、扇で簀子をぴしっと打ちつけられました。
 葵瑛さまは、そのような香姫さまを、少し淋しそうに見つめられます。
「わたしは……はやくに母を亡くしました」
「え……?」
 いきなり核心に触れはじめた葵瑛さまに、香姫さまは表情をかえられました。じっと葵瑛さまを見つめられます。
 葵瑛さまは高欄から下り、香姫さまに向かい合うように座っていらっしゃいます。
 葵瑛さまもまた、香姫さまを見ておられるようでございますが、その焦点は定まってはおりませんでした。
 ふらふらと視線を泳がせ、舞い落ちるもみじを見たかと思うと、お空に浮かぶ雲を眺めたりと……。
 そして、香姫さまに、切なげな視線を送られます。
「わたしの母は、あまりよい家の出ではなかったので、更衣(こうい)でした。しかし母は、早い時期で入内していましたので、わたしは、帝にとって一人目の皇子。ですから、しばらくはわたしも一の宮として、何不自由なく、幸せに暮らしておりました――」
 葵瑛さまは、どこか昔を思い出すように、遠い目をされております。
 ずっと遠く、はるか昔を思い出されるかのように、香姫さまを通し、むかしむかしを見ておられます。


「え? お母君が……お亡くなりになった? それはまことですか? お父君」
 まだあどけない小さな皇子は、肩を落とし、力なく目の前にたたずむ父、帝を見上げられました。
「ああ。一の宮。お母様はね、つい先ほど、息を引き取られた……」
 帝は跪き、まだ小さな皇子に、言い聞かせるようにおっしゃいます。
 すると、見る間に、皇子の目から大粒の涙がぽろぽろとこぼれはじめました。
 もともと、皇子のお母上であらせられる桐壺更衣(きりつぼのこうい)はお体が弱い方でしたので、皇子をお生みになってから、ずっとふせっておられました。
 そして、ついに先ほど、お隠れになられてしまったようでございます。
 御年五歳にして、皇子はお母上を亡くされてしまわれました。
 この時にはもう、皇子がお生まれになった翌年にお生まれになられていた、血筋も家柄もよい一つ下の二の宮さまがおられましたので、もう皇子は必要ございませんでした。
 もちろん、そのような二の宮さまでございますから、お父上が東宮から帝になられると同時に、東宮にお立ちになっておられました。
 これが、皇子にとって、運命の、不運のはじまりだったのかもしれません。
 お母上が亡くなられたその時にはもう、お母上のお父上もお亡くなりになっておられました。
 また、他に頼る親類もなく、お母上を亡くされた今、もう皇子には後ろ盾がなくなってしまわれたのです。
 後ろ盾のなくなった皇子の末路といえば……たとえ一の宮でもわかりきったことでございましょう。
 臣下に下るか、落飾するか、残された道は二つに一つでございます。
 しかし、そう思われていた皇子の御身に、一条の光が差し込んできました。
 ちょうどその頃、降嫁していた帝の妹宮、女四の宮が、帝のもとを訪れたのでございます。
 そして、あることをお願いされました。
 清涼殿は、昼御座(ひるのおまし)でのことでございます。
「帝……。いえ、兄上さま。本日はお願いがございまして、参内いたしました」
 女四の宮は、切羽詰ったような表情で帝を見つめられます。
「お願い……?」
「はい。先日、一の宮さまの……高良親王さまのお母上、桐壺更衣さまがお亡くなりになられましたね?」
 女四の宮は、ためらうことなく、じっと帝の目をとらえられます。
 帝は、まだ更衣を亡くされたばかりで傷心だというのに、この言動でございます。
 さすがの帝も、少し気分を害されていたかもしれません。
 しかし、女四の宮は、そのようなことにかまうことなく、お話を続けられます。
「そして、更衣さまの御子、高良親王さまには、もう後ろ盾となる方はいらっしゃらないかと……?」
「ああ、その通りだが。何だ? いきなり。やぶからぼうに」
 帝は怪訝な表情をされます。
「ええ、ですから……ですから、その高良親王さまを、わたくしにくださいませ。兄上さま」
 にこっと微笑み、けろっとした顔で、女四の宮は、よりにもよって、そのような爆弾発言をなさったのでございます。
 当然帝も、あまりにも突拍子のないお話に、あっけにとられております。
「だって兄上さま。わたくしには……わたくしは子供ができぬ体。ですが、子供が欲しいのです。そのような時、高良親王さまのことを知り……。いてもたってもいられなくなり、殿にお頼みして、高良親王さまをわたくしたちの子にしようと……。――ねえ、お願いです。兄上さま。わたくしが哀れと思うなら、高良親王さまが哀れと思うなら、お情けをくださいませ。わたくしにとっても、高良親王さまにとっても、よいことだとはお思いになりませんか!?」
 女四の宮は、帝に詰め寄られます。そして、そうおっしゃり、帝に泣きつかれます。
 帝は、女四の宮のその顔があまりにも真剣だったので、そして皇子も哀れだと思っておられたので、ついには女四の宮の要求をのまれてしまいました。
「――わかった。おまえに一の宮をやろう。しかし、お前の子にするわけにはいかない。……後ろ盾……。お前の夫、内大臣には、一の宮の後見人ということで、一の宮に目をかけてやって欲しい」
「後……見……人? ――それでは、兄上さま。高良親王さまとわたくしは、一緒に暮らせないではないですか?」
 女四の宮は、帝のお袖をぎゅっとつかみ、訴えるように見つめられます。
「いや、暮らせばよい。一の宮は、内大臣家で育てるがよい」
 泣きすがる女四の宮の髪にそっと触れ、帝は兄上さまらしい優しい笑顔を向けられました。
「兄上さま! ありがとう……ありがとうございます!!」
 女四の宮は、今まで泣いていたのはどこへやら、お顔を大輪の花のようにぱあとお咲かせになられました。
 それを見て、帝は少し困ったように微笑まれます。
「しかし……これだけは言っておく。――決して……決して、一の宮には、帝位を望まぬようにしつけて欲しい」
 女四の宮さまは、眉をひそめられます。
 そして、すっと立ち上がられます。
「――もちろんです。もとより、そのような気はさらさらございません」
 女四の宮はそうおっしゃると、帝からはなれ、そしてまた腰を下ろし、深々と頭を下げ、そのまま帝のもとを退出されていかれました。
 それからしばらくの後、桐壺の更衣の喪があけると同時に、皇子は内大臣邸へと移っていかれたそうでございます。


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update:03/10/02