花ぞさかりに
(七)

「梅若。お前も、なかなか言うようになったね?」
 葵瑛さまはそうおっしゃると、がしっと梅若の頭をつかみ、ぎりぎりと力を込めていかれます。
「いた……っ。いたいって、このくされ宮!!」
 梅若はそう叫ぶと、ばっと葵瑛さまの手を振り払いました。
 しかし葵瑛さまは、相変わらず、じと〜りと梅若を威圧的に見下ろしたままでございます。
 これほど葵瑛さまが怒りをあらわにされるとは、相当お怒りと思って間違いないでしょう。
 そのような葵瑛さまの後ろには、扇で口元を隠し、横目でじろりと梅若を見下ろしておられる陽楊さまがいらっしゃいました。
 どうやら、陽楊さまもまた、先ほどの梅若の暴言に……というよりは、梅若の乱行に怒りを感じておられるようでございます。
 よりにもよって、陽楊さまより先に香姫さまへ駆け寄るなど、そして、あろうことか、香姫さまに抱きつこうとするなど、陽楊さまの逆鱗に触れて当たり前でございます。
 そのような陽楊さまと葵瑛さまを見て、梅若はふんと鼻で笑いました。
 そして、何とも梅若らしいふてぶてしい態度で、けろりととどめをさします。
「だって、本当のことじゃない? へっぽこ能無し東宮に、破綻企み親王」
 そう言った瞬間、梅若の首根っこが、まるで猫のように陽楊さまによってつかまれておりました。
「葵瑛。こいつにおもりをつけて、近江の海に沈めてもいいかな?」
 そして、にたりと微笑まれます。
 すると葵瑛さまは、少し驚いたような表情をお見せになりましたが、すぐににこりと微笑まれます。
「おや、陽楊。久しぶりに意見が合いましたね」
「そうか。それはよかった」
 陽楊さまはそうおっしゃると、梅若の首根っこから手を放し、どんと背を押し、葵瑛さまの腕の中へと放りこまれました。
 放り込まれた梅若は、がしっと葵瑛さまにはがいじめにされ、そのままそこにいた侍に引き渡されてしまいました。
 そして、侍によって、左大臣邸奥深くへと連れていかれます。
「ぎゃあ〜! やめろよ! はなせよ! この鬼、人でなし〜! お前たちなんて、お前たちなんて、今に絶対、地獄に落ちるからな〜!!」
 侍にずるずると引きずられながら、梅若はそのような負け惜しみを叫んでおりました。
「何とでもどうぞ」
「負け犬の遠吠え」
 実に雅そうに、そのようなお言葉をはかれ、陽楊さまも葵瑛さまも、わざとらしく気品を漂わせ、立っておられます。
 その様子を見ておられた香姫さまが、完全にあきれたようにぽつりとつぶやかれます。
「馬鹿ばっかり……」
 その香姫さまの横で、月影の中将も、どっと疲れたようにうなだれておられます。
「まったく……あの兄弟は、どうにかならないのか?」
「え? 兄様。陽楊さまと葵瑛さまが、ご兄弟だとご存知だったの?」
 香姫さまは、月影の中将の言葉に、驚いたように反応されます。
 月影の中将のお顔を見上げられます。
「ん? 当たり前だ。最近、あの方々がいとこだと勘違いしている者も多いが、事情を心得ている者たちは、お二人のご関係は承知している。それに……いとこというのに、親王では無理があるだろう?」
 首をかしげながら、月影の中将が答えられます。
「ふ〜ん……」
 香姫さまは、どこかおもしろくなさそうにつぶやかれます。
 そのような香姫さまを、不思議そうに、月影の中将は見下ろされます。
「お前も知っていたのか?」
「……うん」
 香姫さまはそう答えられると、陽楊さまと葵瑛さまご兄弟を、じっと見つめておられました。
 香姫さまの目線の先には、実に仲の良さそうな?お二人の姿がございました。


「わたしはもともと、香子の入内に乗り気ではないのだ」
 香姫さまが帰京され、陽楊さま、葵瑛さまをまじえての歓談の席で、月影の中将がいきなりそのような爆弾発言をされました。
 ここは、左大臣邸東の対。
 ちょうど一年程前、陽楊さまと葵瑛さま、そして香姫さまが、はじめてお会いになられた所がこちらでございます。
 陽楊さま方は簀子で、まだ満月にはほど遠い月を肴に、月見酒を楽しんでおられます。
 というのはたてまえで、ただたんに、御酒を召し上がる口実が欲しかっただけかもしれません。
 いえ、陽楊さまは、久しぶりに再会した香姫さまと、少しでも長い時間を一緒に過ごしたかっただけという方が正しいかもしれません。
 本当は二人きりの方がもちろんよいのですが、この宴席につき合うという口実で、東宮御所へむりやり連れ戻されるのを防いでおられるので、そうもいきません。
 香姫さまは簾中で、そのような殿方三人を肴に、御酒を召し上がっておられました。
 もちろんその横には、棗が控えております。
 御酒を召し上がる……と申しましても、香姫さまは、ほとんど召し上がってはおられませんでしたけれど。
「これは、だいぶ酔っていますね〜……」
 先ほどの爆弾発言などさらりとかわし、葵瑛さまがおもしろそうに、月影の中将をまじまじと見つめられます。
「葵瑛。そのようなことよりも、今の中将の発言……」
 陽楊さまは、葵瑛さまを制され、不安げな顔で見つめられます。
「おや? 陽楊は知らなかったのですか?」
「何を!?」
 陽楊さまはむっとし、じろりと葵瑛さまを見つめられます。
 そのような陽楊さまの耳に、御簾の内より、けろりとした香姫さまのお声がもれてまいりました。
「兄様が、陽楊さまとわたしの結婚に反対しているということよ?」
「はあ!?」
 陽楊さまは、香姫さまのそのお言葉を聞き、思わずがばっと立ち上がっておられました。
 そして、きょろきょろと、簾中の香姫さまと月影の中将を交互に見られます。
「だって兄様。こう見えても、シスコンなのですもの」
 香姫さまはそうおっしゃると、くすくすと楽しそうに笑い出してしまわれました。
 その横で棗も、「失礼ですよ」と言いながら、笑っています。
「香子は……香子は、わたしのものだったのだ。それなのに、それなのに……どこの馬の骨とも知れぬ男に、もっていかれるなど……!」
 月影の中将はそう叫ぶと、おいおいと泣き出してしまいました。
「どこの馬の骨って……。わたしは東宮だよ!?」
 月影の中将の、またしてもそのような無礼きわまりない発言に、陽楊さまはさらにご機嫌をななめにされます。
「まあ、陽楊。中将も、今夜はだいぶ酔っておいでだ」
「と言っても、葵瑛。反対しているなどと聞かされては……」
 陽楊さまは、悔しそうに葵瑛さまに食い下がられます。
 どうやら、陽楊さま。面白くなく思っていらっしゃるのは、月影の中将のその発言ではなく、月影の中将が、香姫さまとのことを反対されているということのようでございます。
 まあ、陽楊さまらしいといえば、陽楊さまらしいですね。暴言をはかれたことよりも、香姫さまとの仲を認められないという辺りを気にされるなどとは。
「大丈夫よ、陽楊さま。兄様に、続きを聞いてみては?」
 くすくすと笑いながら、香姫さまは御簾の内から出てこられました。
 そして、ちょこんと、陽楊さまの横に腰を下ろされます。
「聞いてみる?」
 陽楊さまは、先ほどまでのご機嫌ななめはどこへやら、香姫さまがお隣に座られると同時に、ご機嫌をなおしてしまっておられました。
 そして、不思議そうに、香姫さまにそう聞き返されます。
「ええ。――兄様。わたしも聞きたいわ。どうして反対なのかしら?」
 香姫さまにはその理由がわかりきっておられるのに、わざとそのような試すような言い方をされます。
 すると、泣き崩れていた月影の中将は、がばっと顔を上げ、恨めしそうに陽楊さまをにらみつけられます。
 その目は完全にすわっておりました。
 本当にもう、月影の中将は、どうしようもなく酔われているようでございます。
 帝御自ら月影の中将という愛称を賜った、若いながらに風流を解する、生まれも育ちも上等な、葵瑛さま同様、都一の婿がねとうたわれるあの月影の中将が、なんとした醜態でございましょう。
 陽楊さまは、そのような珍しい月影の中将の醜態に、少し困ったように苦笑いを浮かべられます。
「香子は幼い頃は、それはもうかわいらしい姫で……。――いや、今でも十分かわいいのだが……」
 そのようなことを、恥ずかしげもなく、さらりとつぶやかれます。
 まったく、御酒の力とは、偉大でございます。
 あの月影の中将を、ここまでへろへろのへたれにさせてしまうのですから。
「わたしの後を、兄様兄様とついてわまっていたのだ。わたしと一緒に遊びたいと言って、蹴鞠もしたし、木にものぼった。兄様と一緒に勉強すると言って、女の身には過ぎたものであるのに、漢詩の勉強もした。そうそう……あまりにもはしゃぎすぎて、池に落ちたこともあったな〜……」
 また杯をとり、月明かりに照らされた、左大臣邸東の対自慢のもみじの木をうっとりと眺めながら、月影の中将が思いふけるかのように語りだしました。
 その月影の中将の言葉に、葵瑛さまは楽しそうに耳を傾けておられます。
 そして、香姫さまに視線を向け、にこりと微笑まれました。
「今とそうかわらないですね。さすがは香姫殿。むかしから、その才はおありだったようだ」
「うるさいわよ、葵瑛さま」
 ぎろりと香姫さまのにらみが入ります。
 そのような香姫さまと葵瑛さまなどおかまいなしに、月影の中将の独白は続きます。
「そして、ある日、香子は言った。『大きくなったら、香子は、兄様のお嫁さんになるの』と。そう言った時の香子は、それはもうこの世のものと思えぬほどのかわいらしさで……。絶対に、他の男になどやるものかと思ったものだよ……。それが、それが……よりにもよって、わたしの手の届かぬ、後宮なんぞに入るはめになって。――くうっ。どうして、よりにもよって東宮なのだ!? 普通の公達ならば、普通の公達ならば……香子はずっと、この邸にいたのに〜っ!」
 最後には叫び、がつーんと簀子に杯を投げつける始末でございます。
 まったく……酔っ払いほどたちの悪いものはございません。
 しかし、そのような酔っ払いよりもたちの悪い方が、この世にはいらっしゃいますけれどね。
 それは、どなたとはあえて申しませんが……そう、今、香姫さまに余計なことを言って、憎らしげににらみつけられているお方などとは、口がさけても……。
 月影の中将のあまりにもすっとんだ発言に、陽楊さまはあっけにとられ、ぽか〜んとされております。
 その横で、香姫さまは、あきれたようにため息をもらされました。
「結局、そういうことなのよ。兄様、酔うといつもこうなの。もういつものことすぎて、慣れちゃった」
 そして、けろりとそう言ってしまわれました。
 あれだけ恥ずかしいことを並べられたにもかかわらず、とうの本人の香姫さまがけろっとなさっているのもまた、おかしなことでございます。
 まあ、いつものことのようでございますので、香姫さまなら、けろりとしておられてもおかしくはございませんけれど。
 しかし、陽楊さまは違っておられました。何やらお顔を赤くされ、その赤くなったお顔を扇で隠されています。
 実は、陽楊さまにも、月影の中将の思いは、覚えのある思いだったのでございます。
 陽楊さまもまた、この破天荒な姫君に、やられちゃったお一人でございますから。
 しかも、陽楊さまが香姫さまをひとりじめにすることを、とても悔しがっている月影の中将のお姿なんて、いつかの陽楊さまのお姿を見ているようではございませんか。いえ、いつかの陽楊さま、そのままのお姿でございます。
 そりゃあ、陽楊さまも、恥ずかしさのあまり、お顔を赤くされるというものでございます。
 それにしても、普段、あれだけ左大臣とともに、香姫さまをけちょんけちょんに言っておられる月影の中将でございますが、その実は、めちゃめちゃにだめだめなほどに、香姫さまを愛されていらしたのでございますね?
 香姫さまも、まったくもって、愉快な方を兄上に持たれたものでございます。
 そのような愛されてしまっている香姫さまだからこそ、そしてたちの悪いことに、愛されているという自覚があるからこそ、安心して、あれだけ思うまま、好き放題できるのでございますね。


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update:03/10/05