花ぞさかりに
(十七)

 棗は、もうすっかり困り果ててしまい、ふうっとため息をもらし、たそがれてしまいました。
 そして、いまだ手の中にある、香姫さまのにおい袋に気づきます。
 そこで、香姫さまににおい袋をお返ししようと、声をかけます。
「姫さ……」
 棗がそこまで言いかけた時です。
 ぴたりと、陽楊さまと葵瑛さまは馬をとめてしまわれました。
「……陽楊さま……?」
 香姫さまは怪訝な顔で、陽楊さまを見つめられます。
 すると陽楊さまは、「ああ」とつぶやかれます。
 そして、葵瑛さまに合図を送り、馬を走らせようとされます。
 その時でございます。
 どうやら、少し遅かったようでございます。
 馬に乗る香姫さま方を取りかこむように、太刀を抜き、覆面をした男たちにかこまれてしまいました。
 次から次、わらわらとわいてでてきます。
 この状況は、香姫さまには、とてつもなく覚えのある状況でございます。
 かつて、葵瑛さまに差し向けられた刺客に取りかこまれた時と、似た状況でございます。
 いえ、今回はそれよりももっと悪い状況かもしれません。
 このような足場の悪い山中。そして、刺客の数も半端ではございません。かれこれ、十数人はいるでしょうか。
「ね、ねえ、葵瑛さま。これもまさか、葵瑛さまが差し向けた……などということはないわよね?」
 香姫さまは、期待を込めた目で葵瑛さまを見つめられます。
 その葵瑛さまのお顔はとても険しく、冷や汗すら流されておりました。
 これでは、以前のような葵瑛さまの悪ふざけでないことくらい容易にわかります。
 全ての希望を失ったかのように、香姫さまは落胆されます。
 そして、そのような香姫さまに追い討ちをかけるように、葵瑛さまがおっしゃいました。
「ふふっ。それならばよかったのですがね……」
 言葉はいつもの葵瑛さまのふざけたそれですが、とてもそのようには感じられません。
 かすれたような声で、苦々しくつぶやかれます。
「香子。しっかりつかまっているのだよ!!」
 そう叫ばれたかと思うと、陽楊さまの乗る馬が前足を上げ、取りかこむ刺客たちを威嚇いたしました。
 刺客たちは一瞬ひるみましたが、またすぐに体勢を立て直します。
 そして、とうとう、飛びかかってきてしまいました。
 しかも、それは皆、香姫さまめがけてでございます。
「ちっ。やはり、狙いは香子か!」
 陽楊さまは、はき捨てるように叫ばれると同時に、するりと太刀を抜き、一人二人と、馬上で刺客を切り捨てていきます。
 やはりとおっしゃるということは、陽楊さまにはお心当たりがおありなのでしょう。
 いえ、陽楊さまだけでなく、誰にもお心当たりがおありです。
 何しろ、ついこの間、香姫さまは呪詛をしかけられたばかりなのですから。
 これもまた、それに絡んだことなのでしょう。
 そう考えることが普通でございます。
 その光景を、棗はがたがたと震え、見ておりました。
「棗殿。あなたは、わたしにしっかりつかまって、目をつむっていなさい」
 震える棗に気づかれた葵瑛さまが、すっと棗の目を手で覆われました。
「は、はい!!」
 棗が気を取り直し、そう答え、目をつむると同時に、葵瑛さまも太刀を抜かれました。
 そして、香姫さまへと襲いかかる刺客を、陽楊さま同様、次々に切り捨てていかれます。
 しかし、それも長くはもちませんでした。
 襲い来る刺客たちに、馬が恐怖し、暴れだしてしまったのです。
「陽楊さま……!」
 香姫さまは、陽楊さまをきっと見つめられます。
 すると、陽楊さまはこくんとうなずき、暴れる馬の背から、香姫さまを抱きひょいっとおりられました。
 同様に、葵瑛さまも棗を抱き、馬からおりられます。
 とうとう、馬を捨てるはめになってしまいました。
 葵瑛さまは、馬からおりられると同時に、何やら、棗に一言二言、耳打ちをされました。
 すると棗は、それまで恐怖していたのを必死にこらえ、きっと険しい顔をします。
 それを見て、葵瑛さまはひとまずは安心されたのか、棗を放り出し、陽楊さまを助けに走られます。
「棗殿!!」
 きんきんと火花を散らし太刀をまじえながら、葵瑛さまが棗に向かい叫ばれました。
 それと同時に棗は走り出し、陽楊さまの陰に隠れている香姫さまの腕を引っ張りました。
「姫さま、お早く!!」
 そして、来た道を引き返すように走り出そうとします。
「え……? な、棗!?」
 香姫さまは、いきなりの棗の行動に驚かれます。
 そして、棗に従うのではなく、あくまでそこにとどまろうと、棗に抵抗されます。
 どうやら棗は、香姫さまを連れ、逃げるつもりのようでございます。
 そしてこれが、先ほど、葵瑛さまが棗に耳打ちされたことのようでございます。
 しかし、香姫さまは嫌だったのです。
 香姫さまを連れて逃げようとする棗の考えはわかりますが、だからといって、このまま陽楊さまと葵瑛さまにこの場をまかせ、ご自分だけ逃げるのが嫌だったのです。
 それが、ましてや、香姫さまのわがままでやってきたもみじ狩りで、香姫さまの狙われた命のために、陽楊さまと葵瑛さまをまるで犠牲にするかのように逃げる、その行為が嫌だったのです。許せなかったのです。
 棗にも香姫さまのその辛い思いは痛いほどよくわかりますが、今は何より、命を狙われている香姫さまをお守りすることが大切です。
 先ほど、葵瑛さまに耳打たれ、頼まれたように、棗の心も、陽楊さま、葵瑛さま同様、香姫さまをお守りするということが第一だったのです。
 棗とて、とても辛いのです。
 ためらう香姫さまに気づき、陽楊さまがすごい剣幕で怒鳴られました。
「逃げろ! 香子!! 棗をつれて、早く!!」
「あなたたちは先に里へ下りていなさい! 後から必ず、我々も追いかけるから!!」
 陽楊さまに続け、葵瑛さまも叫ばれました。
 どうみても、この状況は優位とはいえません。むしろ、押され気味でございます。
 これでは、香姫さまがいては逆に邪魔になるだけです。
 陽楊さまも葵瑛さまも、ご自分の身を守ることだけで精一杯のご様子。
 それを悟られた香姫さまは、とても苦々しそうに、辛そうに、ぐっと棗の腕をつかみ、そのまま里へと続く道を駆けていかれます。
「ごめんなさい! 二人とも……!!」
 走り去る香姫さまを確認し、陽楊さまも葵瑛さまも、安心したように表情を変えられ、太刀をかちりとかまえなおし、きりりと得意げな表情を浮かべられました。
 このような表情を浮かべられた陽楊さまと葵瑛さまなら、もう怖いものなしでございます。
 このお二人に敵うものなど、存在しないでしょう。
 香姫さまがここを立ち去られた今、もう何も遠慮をすることはなくなりました。


 棗を連れて、陽楊さまと葵瑛さまのもとを去って、しばらく駆けた頃でございます。
 ぜいぜいと荒い息を上げ、立ち止まってしまわれました。
「も、もう、この辺りまでくれば大丈夫かしら……。ねえ、棗?」
 香姫さまに腕を引かれ、同様に荒い息を上げる棗へ振り返られます。
 すると棗は、辛そうな顔でにっこりと微笑みました。
「ええ。しかし……油断は禁物です。里へ下りきるまで歩き続けましょう」
「そうね……」
 棗の意見に香姫さまは同意され、よろよろとした足取りで、棗と支えあいながら、里へ向かって、また山を下りていかれます。
 さすがに、来る時は馬に乗ってきた道のりでございますので、それを徒歩で下るともなれば、とても大変なのでございましょう。
 しかも、普段お邸の奥にいらっしゃる姫君とそのお付女房の体力では、たかが知れているというものでございます。
 荒い息を上げ、苦しそうに、重い足取りで下る香姫さまと棗の耳に、ふいにがさりという不気味な音が入ってきました。
 香姫さまも棗もはっとなり、ばっと振り返りました。
 するとそこには、追いかけてきたのでしょうか、先ほど襲いかかってきた刺客の一人と思われる男が立っておりました。
「きゃ……っ!!」
 香姫さまも棗も、思わず叫んでおられました。
 しかし、次の瞬間、あの棗が、先ほどは震えていた棗が、きっと険しい顔でにらみつけ、刺客へ向かって駆け出しました。
「な、棗!?」
 あまりにも意外な棗の行動に、香姫さまは驚かれ、とっさに次の行動に出ることができませんでした。
 棗は刺客へ駆け寄ると同時に、がばっとその右手に飛びかかります。
 そして、香姫さまに向かって叫びます。
「姫さま、今のうちに、お早く……早くお逃げください!!」
「棗!!」
 もちろん、そのようなことはできるはずもなく、ふらりと棗へ向かって一歩足を進められます。
 それをみとめた棗は、きっと険しい顔で香姫さまをにらみつけました。
「棗は大丈夫です。姫さま、どうかご無事に! 早く!!」
 棗にそう叫ばれれば叫ばれるほど、香姫さまはうろたえ、どうすることもできません。
 辛そうに、棗を見つめておられます。
 何しろ、この棗という女房は、香姫さまの乳兄弟。幼い頃よりずっと、香姫さまのお側近くで仕えてきた女房でございます。
 そのような棗を一人放って、香姫さまが逃げられるはずがございません。
 ましてや、陽楊さまや葵瑛さまのように太刀の一つももっていない、か弱い女性なのですから。
「姫さま!! 何をぐずぐずしているのです!! 棗を思うなら、どうかお逃げください! このままでは、棗は、大臣にも兵部卿宮さまにも、そして何より、東宮にあわせる顔がございません。――大丈夫です。すぐに宮様方が来てくださいます。それまでは、どうにか持ちこたえておりますので!!」
 有無を言わせぬ迫力で、棗は香姫さまをにらみつけます。
 香姫さまは、もうどうすればよいのかわからず、うろたえられるだけでございます。
 しかし、棗が今言ったことを思えば、香姫さまはそれでも一人、このままお逃げにならなければなりません。棗の思い、棗の勇気を無駄にしないためにも。
 そして何より、棗の言うように、陽楊さまのためにも、その命、ここで落とすわけにはいかないのでございます。
 香姫さまは、きっとお顔をひきしめられました。
 ようやく決意されたようでございます。
「ごめん、棗!!」
 そう叫ばれると、まただっと里へ向かって走り出しておられました。
 それを見届け、棗はほっと一息つきました。
 そして、そのままずるずると、刺客の腕を握ったまま、その場に座り込んでしまいました。
 刺客の腕を、ぐっと引き寄せております。
 刺客は棗に手を引かれ、ふらりとよろけました。
 これで棗も、少しは時間稼ぎができるというものでございましょう。
 香姫さまが、里へおりるまでの時間。
 陽楊さまと葵瑛さまがあの刺客たちを片づけ、棗のもとへかけつけるまで、棗は必死に刺客の腕をつかみ続ける覚悟でございます。
 棗の手を放そうと、反対の残された手で、刺客に髪を引っ張ったりされつつも……。
 ところで、表向き香という女房になられている香姫さまを襲ってきた……ということは、もしや、香の正体が香姫さまだと相手にばれてしまっているということでございましょうか?
 それはそれで、とても厄介なことでございます。


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update:03/10/20