花ぞさかりに
(十九)

 ところはかわり、こちら、都は兵部卿宮邸。
 香姫さまが笹舟の君の胸の中で、安心したように眠られている頃。
「やれやれ……。どうも強情で困ります。口をわる気はないらしい……」
 疲れきったお顔で、腰をとんとんとやりながら、陽楊さまのもとへ葵瑛さまが歩いてこられました。
 陽楊さまは、庇に座し、険悪な雰囲気を漂わせ、膝の上に両手をおき、それを強くぎゅっと握っておられます。
 何か、とても辛いことを耐え忍んでおられるような、そのようなお姿です。
「……お前……でもか?」
 陽楊さまの前に、どっこいしょっと言わんばかりの疲労ぶりで、葵瑛さまがどさっと腰をおろされました。
 その葵瑛さまを、陽楊さまは見つめられます。
「ええ。とてもよく教育されているようですね」
 むすっとしたふくれっつらで、はき捨てるように葵瑛さまがおっしゃいました。
 そして、扇を取り出され、ぱたぱたとあおぎはじめられます。
 今宵、もう秋も半ばの夜ともなりますと、その暑さも扇であおぐほどのものとは思えません。むしろ、少し寒いくらいに感じます。
 恐らく、暑いからあおいでおられるのではなく、その胸の内のこらえきれぬ怒りを必死におさえるために、あえて関係のないそのようなことをして、誤魔化されているようでございます。
 それは、陽楊さまにもわかることですので、うなだれ訴えるように葵瑛さまを見られます。
「大丈夫なのか? まさか、舌を噛み切ったりなどしないだろうな?」
 そして、ぎろっと葵瑛さまをにらみつけられました。
 口をわらさぬうちにのこのことやってきた葵瑛さまを、非難されているようでもありました。
 そのお言葉を聞き、葵瑛さまはすっと姿勢を正し、いつもの憎らしい企み顔をなさいます。
 先ほどまでの疲れは、すっ飛んでしまったようでございます。
「ふふ。みくびらないでください。その辺りはぬかりないですよ、もちろん。さるぐつわをかませてあります」
 そして、楽しそうに笑いはじめてしまわれました。
 北山で香姫さまと別れてすぐ、案の定、陽楊さまと葵瑛さまは、一人を残し、刺客どもをばっさばっさと切り捨てておられました。
 もちろん、残った一人も、尋常ならざる深手を受けております。半死半生といったところでございましょうか?
 いえ、そこまでひどくはございませんが、どうにか話すことができる程度には痛めつけておられるようでございます。
 何故、たった一人だけを生かしておいたかと申しますと、もちろん、この刺客たちを雇った黒幕を聞きだすためでございます。
 しかし、この刺客、なかなかよく教育されているらしく、あの葵瑛さまの詰問をもってしても、屈さないようでございます。
 そこで、葵瑛さまは困り果てておられるようでございます。
 楽しそうに笑い出されてしまった葵瑛さまを、陽楊さまはじとりとにらみつけられます。
 そしてすぐに、はあっとあてつけがましいため息をもらされました。
「どうやら今回は、残念なことに、お前の遊びではないようだな?」
 ちらりと葵瑛さまへ視線をやり、頭を抱え込んでしまわれました。
 陽楊さまのそのお言葉に、葵瑛さまは目を見開き、とても驚かれたご様子です。
「おや? どうしてそう思うのですか?」
 それから、優しげに微笑まれ、そっと陽楊さまの肩に手をおかれました。
 それはまるで、陽楊さまをお慰めされているかのようでした。
「茶化すな。お前は、自分の遊びに巻き込んだ者や、本気で怒りを感じた者は、殺さずに生かしておくからな。関係のない者や何とも思っていない者は、あっさりその場で処分してしまう」
 陽楊さまはうつむいたまま、肩におかれた葵瑛さまの手をぎゅっと握り締められました。
 葵瑛さまは、少し困ったように微笑まれます。
「陽楊は、わたしのことをよくご存知ですね」
 そして、陽楊さまの手を残っていた反対の手で握り締め、そのままこつんと、うつむく陽楊さまの額にご自分の額をつけられました。
 うつむく陽楊さまもですが、額をつけた葵瑛さまもまた、小刻みに震えておられます。
 何も言わずとも、お互いのお気持ちがわかってしまわれるのでしょう。
「当たり前だ」
 しばらくの後、陽楊さまがそうつぶやかれました。
「香姫殿は……今頃、どうされているのでしょうか……」
 陽楊さまから額をはなし、燭台の明かりだけのその庇で、ぽつりと葵瑛さまがつぶやかれました。
 そこには、燭台一つだけ……。他に頼る明かりはございません。
 薄ぼんやりと、陽楊さまと葵瑛さまのお姿を照らしております。
 葵瑛さまがつぶやかれると、陽楊さまはびくっと体をふるわされました。
 どうやら、そのことには触れてほしくなかったようでございます。
 体全部で、その話題を拒絶しておられます。
 香姫さまは、まだ陽楊さま方と再会を果たしてはおられません。
 陽楊さまと葵瑛さまは、刺客を切り捨て、すぐに棗のもとへ走られましたが、その時にはもう、棗が香姫さまを逃がした後だったのでございます。
 その後、棗が足止めしていた刺客を、葵瑛さまがあっさりと切り捨てられ、香姫さまをお探ししたのですが、一向に見つかりませんでした。
 そこで、気のすすまぬ陽楊さまを強引に引っ張り、刺客一人を連れ、山をおりて、ひとまず、こちら兵部卿宮邸へ帰ってこられたのでございます。
 棗は、兵部卿宮邸につくなり、それまでの緊張の糸がぷつっと切れたのか、香姫さまの行方不明に衝撃を受けたのか、そのまま気を失ってしまいました。
 今も、兵部卿宮邸の一室を借り、気を失ったままでございます。
「陽楊。大丈夫です。今、わたしの手の者が懸命に探しております。また、夜が明ければ山狩りもいたします。ですから……」
「黙れ!!」
 珍しい葵瑛さまの優しいお言葉にも、陽楊さまは乱暴に怒鳴られました。
 そこで葵瑛さまは、どのようにお声をおかけすればよいのかわからなくなり、そのまままた、もとの場所にすっと腰をおろされ落ち着かれました。
 こうなってしまった陽楊さまにどのようなお声をかけようとも、全て無意味なことになりましょう。
 どのようなお声をかけたとて、陽楊さまの苦しみをぬぐうことはできません。
 それは、葵瑛さまも抱くお気持ちでございました。
 葵瑛さまとて、香姫さまが心配で心配で仕方がないのでございます。
 しかし、今こうして、陽楊さまのように落ち込んでいるだけでは埒が明かないのも理解されているので、必死に、気丈に振る舞っておられるだけでございます。
 お二人そろって落ち込んだところで、何も進展はないのですから。
「やはり……もみじ狩りになど、行かなければよかった……!」
 陽楊さまは突如そう叫ばれると、目の前に座る葵瑛さまの胸めがけて抱きつかれました。
「陽楊……」
 そのような陽楊さまを、葵瑛さまは苦しそうに抱きとめられます。
 このようなことをいまさら言っても何もはじまらないと、陽楊さまも承知されておられます。
 しかし、何かいわずにはいられないのです。後悔せずにはいられないのです。
 香姫さまの無事がわからない今、もうどうすることもできないのです。
 何も手につきません。
 ただ、香姫さまが無事なお姿で、笑って、また陽楊さまの前に現れることを願うことしか……。
「大丈夫……。あの香姫殿ですよ。殺しても死にはしませんよ」
 そうして、ぽんぽんと陽楊さまの背をなで、葵瑛さまは、外に広がる漆黒の夜空を見上げられました。
 葵瑛さまの見上げられたそこには、赤い星が、やけに明るく輝いているだけでございます。
 とても不気味に、不吉に……。
「もうそろそろ……」
 夜空を見上げたまま、葵瑛さまがぽつりとおっしゃいました。
 すると、ばたばたと、乱暴にこちらへかけてくる足音がございました。
 その足音は、許しも得ず、葵瑛さま方のもとへ飛び込んできました。
「宮様!! 大変です!! 奴が……奴が、捕らえておいた罪人が逃げてしまいました!!」
 飛び込んでくるなり、叫びます。
 葵瑛さま方のもとに飛び込んできたのは、どうやら、兵部卿宮邸の侍のようでございます。
 侍の報告を受けると、葵瑛さまはにやりと微笑まれ、強引に陽楊さまにお顔を上げさせられました。
 そして、渋い表情を浮かべる陽楊さまへ向かって、にたあっと微笑まれます。
「ほ〜らっ」
 満足げに、そうおっしゃいました。
 飛び込んできた侍は、葵瑛さまの笑みに恐怖し、ぶるると体を震わせ、その場にたちつくしてしまいました。
 どうやら、自分たちが犯してしまった失態に、葵瑛さまがこの上なく怒っていらっしゃると思ったのでしょう。
 たいてい、葵瑛さまはお怒りになると、今のように不気味に微笑まれますから。それを、侍も承知しておりました。
 しかし、今回は、そのようなことはないようでございます。
 この葵瑛さまを見る陽楊さまのお顔を見れば、一目瞭然でございます。
 陽楊さまは、呆れたように、非難するように葵瑛さまを見ておられました。
 そのお顔には、少しの侮蔑の念もこもっていたかもしれません。
 どこか悟りきったご様子でございます。
 葵瑛さまをよく知る陽楊さまだからこそ、嫌というほどに、葵瑛さまのお考えがよめてしまわれたのでしょう。
 お口にこそ出されてはおりませんが、お心の内ではしっかりと、「わざとだな……」とつぶやいておられました。
「飼い犬はね、飼い主のもとへ戻ると、相場が決まっているのだよ」
 たたずむ侍と、軽蔑のような眼差しを向ける陽楊さまなど無視し、葵瑛さまが愉快そうにおっしゃいました。
 やはり、葵瑛さまは、何かしでかさずにはいられなかったようでございます。
 満足げにほくそ笑んでおられます。
 どうやら、全て計算の上で、わざと刺客を逃がしたようでございます。
「……葵瑛。逃がしたのはいいが、その後のことは大丈夫なのだろうな?」
 疑わしそうに、陽楊さまが葵瑛さまをにらみつけられました。
 すると葵瑛さまは、くすりと笑われます。
「ふふ。もちろんではありませんか。ちゃんとつけさせておりますよ」
 葵瑛さまのそのお言葉を聞き、侍は、安堵したように、へなへなとその場にしゃがみこみました。
 葵瑛さまの計算ずくのことであるとわかり、ほっとしたようでございます。
 葵瑛さまに、恐怖のお仕置きをされないとわかり……。
 陽楊さまは、ずるずると葵瑛さまに倒れこんでしまわれました。
 陽楊さまもまた、ほっとしたような、だけど疲れきったようなご様子でございます。
 このとんでもない宮様には、もうついていけないといったご様子でございます。
 まったく、この宮様。このような一大事、緊急事態の時に、よくも遊んでいられることでございます。
 葵瑛さま、香姫さまが心配ではないのですか!?
 ――もちろん、葵瑛さまも、この上なく香姫さまの御身を案じておられます。
 倒れこまれた陽楊さまを支える葵瑛さまのこの険しいお顔を見れば、それは簡単にわかることでございます。
 葵瑛さまもまた、香姫さまの行方がわからなくなってしまったことに、心を痛めておられました。
 しかし、ここで、陽楊さまと一緒になって落ち込んだところでどうにもならないと、いつものふざけた態度を貫いておられたのでしょう。
 心の内に、煮えたぎる怒りをはらみつつ。それを誤魔化すように、悟られまいと――


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update:03/10/23