花ぞさかりに
(二十二)

 秋晴れの昼下がり。
 人払いをし、香姫さまや棗までも遠ざけ、陽楊さまと葵瑛さま、そして月影の中将が、何やらお話し合いをされています。
 人払いをした……といっても、一人のけ者にされたことを知り怒り狂った香姫さまが、いつ飛び込んでくるともしれないので、梅若をあてがい、足止めをさせておられます。
 葵瑛さまの命を受けた梅若は、香姫さまを御所の庭へ連れ出し、うまい具合に気をそらせておりました。
 これよりお話しされようとしていることを、まさか香姫さまに聞かれようものなら、絶対に何かしでかしてくださいます。
 そこで、うまくいくものもうまくいかないと思われた葵瑛さま方の思惑から、香姫さまはのけものにされてしまったようです。
「さて、人払いはしました。それで中将。ここからが本題だよ」
 御簾を扇でちょいっと上げ、外をのぞかれ、誰もいないことを確認すると、陽楊さまと月影の中将が座しておられるところまで戻ってきて、葵瑛さまがそうおっしゃいました。
「ええ。心得ております。……明日の歌合わせで、罠をはるのですね?」
 きっと険しい顔で、腰を下ろそうとしておられる葵瑛さまを見つめられます。
「ああ。――罠……というよりは、わざわざ機会を与えてやる、と言った方が正しいかもしれないね。――恐らく……あちらも、そろそろ限界にきているだろうからね。この間の刺客がいい例だ。そして、歌合わせを知った彼なら……いよいよ行動に移すだろう」
「承知しました」
 葵瑛さまのお言葉に、月影の中将はそれだけを言うと、そのまま黙り込んでしまわれました。
 言葉なくして、葵瑛さまがおっしゃろうとしていることを、全て承知してしまわれたのです。
「それにしても、意外といえば意外、納得がいくといえば納得がいく方でしたね……」
 重く沈みこんだ空気を払拭するかのように、また葵瑛さまがお口を開かれました。
「まさか……。香子を暗殺して、そしてその後がまに自分のいとこを添えようとは……。たしかに、妃は一人だけとおっしゃられている東宮に入内できたならば、生まれた皇子は、間違いなく次の東宮になりますからね」
 月影の中将は、きりりと、悔しそうに爪を噛みます。
「それよりも何よりも、香姫殿に何かあれば、陽楊はもう生きていまいよ」
 さらりと、試すように葵瑛さまが陽楊さまに視線を送られますが、陽楊さまの反応はございませんでした。
 先ほどからと変わらず、ずっとうつむいたままでございます。
 陽楊さまは、葵瑛さまと月影の中将の会話を、ただ黙って聞いておられました。
 何も反応をしめそうとされない陽楊さまに、やれやれ……これは相当重症のようだと、困ったように眉をひそめられ、それ以上、からかいになることをやめられました。
 葵瑛さまにしては、やけにあっさりと身をひかれます。
 どうやら、葵瑛さまにも、陽楊さまのお心がわかってしまっているようでございます。
 そして、どれだけ、陽楊さまにとって香姫さまが大切なお方かということも。
 しかし、だからといって、このまま腑抜けな陽楊さまを放っておくわけにもいきません。
 何しろ、今度の歌合わせでは、陽楊さまに活躍してもらわねばならないのですから。
 女性ばかりの歌合わせでは、唯一、香姫さまを守れるのは陽楊さまだけでございます。
 これくらいで腑抜けられていては、守れるものも守れなくなるというものでございます。
「陽楊。いい加減になさい。香姫殿は無事に帰ってきたのですし、これから不逞の輩を捕まえようという時に……」
「……」
 陽楊さまは、葵瑛さまの叱咤にもこたえようとされません。
 さすがに、ここまで気が抜けた陽楊さまを前にしては、葵瑛さまもいらだってしまわれます。
「陽楊! あなたは、一人の男である前に、国を背負う東宮なのですよ! その東宮が、このようなことでどうするのです!!」
 力なく膝の上に置かれた陽楊さまの手を葵瑛さまは乱暴につかみ上げ、無理やりお顔を上げさせられます。
 しかし、陽楊さまのお顔を見た瞬間、葵瑛さまは驚愕されました。
「陽……楊……!?」
 陽楊さまの両の目から、はらはらと流れるものがあったのです。
 葵瑛さまと同時に、陽楊さまのそれを見てしまわれた月影の中将もまた、険しくお顔をゆがめられておりました。
 見てはいけないものを見てしまったと……動揺を隠せません。
「葵瑛……」
 そして、すがるように、陽楊さまは葵瑛さまを見つめられます。
「やはり……やはり、恐れていたことが現実になってしまったよ。香子はもう……香子はもう、わたしのことは……」
「陽楊……? どういうことです?」
 葵瑛さまのお顔は険しくゆがみます。
 そこはかとなく、底知れぬ怒りも漂ってきております。
 衝撃と激昂、二つの思いが、複雑に入りまじっておられるような表情でございます。
 陽楊さまの腕をつかむ葵瑛さまの手に、力がこもります。
「……聞いてしまったのだよ。香子は……笹舟の君に、心惹かれはじめていると……。そう棗に泣きすがっていたのだよ、あの香子が!」
 がばっと乱暴に葵瑛さまの手を振り払い、陽楊さまは葵瑛さまにつかみかかられます。
 どんと体がぶつかった勢いで、葵瑛さまの体がゆらぎます。
「わたしには……わたしにはもう、香子しかいないのに……。香子しかいないというのに……。わたしの心は、香子なくしてはもう安らぐことがないというのに……!」
 責めるように、どんどんと、葵瑛さまの胸を打ちつけられます。
 葵瑛さまは、陽楊さまの取り乱しように、もうどう対処すればよいのかわからず、そのまま胸を打たせ続けられております。
 とても苦しく、切なそうなお顔で。
 相手が陽楊さまだから……大好きな陽楊さまだから、香姫さまを安心して預けることができたのに……。
 かつて愛した萌葱姫に、どこかおもかげが重なる香姫さまを。
 それなのに、ふってわいたような初恋のお相手に、どうして香姫さまをまかせることができるでしょう。
 葵瑛さまの胸の内は、怒りでぐらぐらと煮えたぎっておりました。
 ぎりぎと唇をかみ締め、(くう)をこれ以上ないというほどにらみつけられます。
 そのような陽楊さまと葵瑛さまのご様子を、月影の中将は見ていられなくなり、思わずふっと視線をそらしてしまわれました。
 月影の中将もまた、とても辛そうにお顔をゆがめられております。


 決戦の日と言っても過言ではない歌合わせの日。
 お昼もとうに過ぎた頃。
 急なお話でしたので、大々的にするのではなく、ごくごく内輪に、東宮御所内でだけの小さなお祭りといった感じでございます。
 そこで、歌合わせの参加者は、東宮御所に仕える、香姫さまと棗を含む女房たちでございます。
 香姫さまは、今もって女房の香のふりをしておられます。
 それをご覧になられるのが、東宮である陽楊さまと、特別にご招待された葵瑛さまのお義母上、女四の宮、そして何故だか、本日の歌合わせのことを聞きつけてやってきた、飛び込み客の露の宮でございます。
 月影の中将は、物陰から歌合わせを見守っておられます。
 これが、昨夜、月影の中将が承知したことでございます。
 物陰からそっと、香姫さまを護衛しておられるのです。
 恐らく、香姫さまとしては、笹舟の君も呼ばれたかったのでしょうが、連絡先もわからないとあってはそれはかないません。
 それよりも、まさかここに笹舟の君を呼ぶなど、そのようなあつかましいことはできません。
 そして、心にやましいことがあったのです。
 香姫さまは、今、たしかに笹舟の君に心ゆらいでおられます。
 そのようなあぶなげな気持ちの時に、笹舟の君が目の前に現れようものなら……。
 不安と不安と不安と、そして苦しみが渦巻く、楽しい、嬉しいなんてない、そのような波乱に満ちた歌合わせが、はじまろうとしております。
 今回の歌合わせは、通常のならいには従わず、自由に、お題などなく、それぞれ詠みたい歌を詠まれます。
 そうなるともちろん、皆、好んで詠まれるのは、恋のお歌ということになり……恋のお歌が乱れ飛びます。
 今回は、あくまで香姫さまの憂いをお慰めするためのお遊びなので、それでも全然かまわなかったのです。
 まずはじめに、二手に別れた女房たちの一人が、それぞれ一句、歌を詠み合いました。
 一方は幸せいっぱいの恋のお歌。一方は苦しい忍ぶ恋のお歌。
 そのような両極端なお歌でも、批評しなければならないというのが、少し辛いところでございます。
「これは、困りましたね……」
 さすがに、批評に困った露の宮が、ぽつりとつぶやかれました。
 もちろん、歌合わせに参加した者は皆、露の宮と同様の反応を示します。
 しかし、香姫さまと陽楊さまだけは違っておられました。
 その忍ぶ恋のお歌。そのお歌はまるで、香姫さまの今の有様を物語っているようだったのです。
 幼い頃、一緒に遊んだ童と久しぶりに再会し、そして恋に落ちた。
 だけど、これはまだ知られてはいけない。
 自分でもまだ、よくわからない思いだから……。
 そのようなお歌でございました。
 陽楊さまは御簾の内で、御簾の外に控える香姫さまを、苦しそうに見つめておられます。
 香姫さまもまた、うつむき、何かをじっとこらえておられるご様子です。
 やはり、そのこらえているものとは、陽楊さまと笹舟の君の間で揺れ動くその思い。辛い思いでしょうか。
 香姫さまの横に控えていた棗は、烟月の夜、お気持ちを聞いてしまっていたばかりに、辛そうに香姫さまを見つめております。
 袖の内でぎゅっと手を握り締め、今にも香姫さまを抱きしめてしまいそうな、そのような思いをかかえ。
 今の香姫さまは、事情を知る棗にとって、とても見ていられないお姿だったのです。
 香姫さまは全身で、その辛さを、苦しみを、悲しみを語っておられます。
 ぎゅっと握り締める棗のその手に、ふっと何やら柔らかい感触がありました。
 そして、それを不思議に思い、その触れた柔らかいものを握ります。
 その瞬間、ふんわりと、いつかどこかでかいだことのある香りが漂ってきました。そして、ぴんときます。
 ここのところのどたばたと静寂のせいで忘れてしまっておりましたが、北山で香姫さまが葵瑛さまに投げつけたにおい袋をまだ持っていたのです。
 そして、そのにおい袋には、明水さまが魔よけに……とお譲りくださった、伽羅の数珠玉が入っております。
 これはもう、忘れないうちに早くお返しせねばと、さっと取り出し、うつむく香姫さまの前にすっと差し出しました。
「姫さま……。これを……。――申し訳ありません。お返しするのを忘れておりました。大切な……におい袋ですのにね?」
「棗……?」
 香姫さまは、目の前に差し出されたにおい袋を目にされた瞬間、驚いたようにばっと棗の顔を凝視されました。
 そして、今にも泣き出してしまいそうな切なげな微笑をうかべられます。


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update:03/10/26