ひかりたわむる
(一)

 じゃあ、友達になろうよう。


「え? 義父上、それはまことですか?」
 清涼殿の簀子で、内大臣に連れられた殿上童姿の少年が、不思議そうに内大臣を見上げました。
 桜色に染まった朝の日が、さんさんと差し込んできております。
 見上げた少年の目に、陽の光がきらりときらめき、まるで目がくらむような錯覚を覚えたとか。
 一瞬、目の前が真っ白の世界と化しました。
 しかし、不思議と嫌な気はせず、むしろ心が弾み出しました。
 とくんとくんと、小気味よい音を響かせております。

 時は、今より十年程前。
 都中に桜が咲き乱れる、春の頃でございました。
 実際にはそこに桜の木などはないにもかかわらず、何故だかそこには桜の花びらが舞っているような錯覚を覚える、それはそれはよく晴れた日のことでございました。
 桜と光の雨が、とめどなく降り注いでおります。
 桜の花びらは、誰もの心にやきつき、趣を運んできておりました。
 このように、きらきら輝く陽の下では、誰もが心うかれるというものでございます。
 もちろん、こちらにおわしますいとかしこき方のお心にも、同様に運んでまいります。
「本当ですよ。帝御自ら、おそばでお仕えするようにとのことです。恐らく……簡単な文使いなどを頼まれることでしょう」
「そう……ですか」
 内大臣が、ご自身のななめ下を歩いている少年に、にっこりと微笑みかけました。
 すると少年は、頬をほんのり染め、嬉しそうにうつむきます。
 それはまるで、照れを隠しているような、あどけない、かわいらしい姿に、内大臣の目には映っておりました。
 もじもじと、嬉しいけれど、それを悟られまいと、懸命に大人ぶっているように見えていたのです。
 微笑ましそうに、またにこりと柔らかく笑います。
「さ、つきましたよ。こちらが、帝がおわします、昼御座ですよ」
 内大臣はそうおっしゃると、すっとその場に跪き腰を下ろし、頭を下げました。
 その内大臣のお振る舞いを、きょとんとしたお顔で少年は見ておりました。
 それに気づいた内大臣が、慌てて少年の袖を引き、同様にするようにと促します。
 少年は少しうろたえたように、じっと目の前を見つめました。
 その時、低めの優しく威厳のある声が、お二人にかかりました。
「内大臣。そのように仰々しくしなくともよいよ。宮もそのままで」
 少年……宮様は、その声を耳にした瞬間、がばっと顔を上げ、目の前の扇でお顔を隠した壮年の男性を見つめられました。
 そして、嬉しそうやら切なそうやら、複雑な笑顔を浮かべられます。
「宮。おいで」
 そのような宮様を見て、男性は少し困ったように微笑み、両手を広げます。
 その瞬間、内大臣がとめるのもきかず、宮様はその男性へばっと駆け出しておられました。
 そして、がばっと抱きつかれます。
 何か失っていたものを取り戻すかのように、すがりつくように男性の胸に顔を埋められます。
「……お父君!!」
「くすくすくす。やはり、いちばんの甘えん坊はお前だね」
 男性はそうおっしゃり、そっと宮様の頭をなでられます。
 男性……帝のお言葉をお耳にされた瞬間、宮様はばっとお顔を上げ、非難するようににらみつけられました。
 その目は、「わたしは甘えん坊などではありません」と、やはり大人びた光を発しておりました。
 すると帝は、おやおやといったご様子で、またくすくすと笑われます。
 宮様はとうとう、ぷうっと頬をふくらませてしまわれました。
「どうだい? 元気にしていたかい?」
「はい……!」
 瞬時ににらみつけることなどやめ、満面の笑みでこたえられます。
 よほど、帝のこのお言葉が嬉しかったのでございましょう。
 その時、ぎしと誰かが足を踏み入れたような音がいたしました。
 それに気づかれた宮様は、はっとなり、そちらの方へ振り向かれます。
 するとそこには、宮様と似た年恰好の品のよい少年が、陽の光をその背いっぱいに受け、きらきらとそこにたたずんでおりました。
 うっすらと暗い建物の中にいる宮様の目には、外からの光を受けたその少年が、とてもまぶしいもののように映っておりました。
 後光を放つ、神仏のように……。
 この世で、最も尊いもののように――
「父君……。その方が……?」
 その少年はゆっくりと口を開き、そうつぶやいておりました。
 すると、帝はこくんとうなずき、少年にこちらへ来るようにと促されます。
 少年はゆっくりとうなずくと、衣擦れの音をさせながら、今はもう帝からはなれその前に立っておられた宮様へゆっくりと歩み寄ると、にこりと微笑みました。
 何ものにも汚されていない、とても無垢で純粋な微笑みに、宮様には見えておりました。
「あなたが……わたしの兄君なのですね?」
 少年がそう言った瞬間、宮様は目を大きく見開き驚かれました。
 そして、すぐに少年に柔らかく微笑みかけられます。
「――ええ、東宮……」
 宮様には、名乗らずして、この少年が誰であるかわかっておられたようでございます。
 そう、そのお姿を拝見したその瞬間に。
 頭でも耳でも目でもなく、そのお心で――
 いつの間にやら、どちらからともなく、宮様と東宮はお互いに手を取り合われ、柔らかく微笑み合っておられました。
 それは、きらきらと春の朝の陽が差し込む、昼御座でのできごとでございます。
 宮様十二歳、東宮十一歳の、それぞれ二年後に元服を控えた頃のことでございます。


 春の朝の出会いより、宮様と東宮はすぐにうちとけておられました。
 数日の後には、宮中では、すっかりお二人の仲の良さが評判となってしまうほどに。
 その噂を、清涼殿におわします帝は、微笑ましく聞いておられたとか……。

 梨壺、東宮御所。
 そちらの庇に、宮様と東宮がいらっしゃいました。
「ああ……。こちらの桜も、なかなか素敵ですね」
 たわむれるように舞い込んできた桜の花びらを一枚その手に受けながら、宮様がうっとりとつぶやかれました。
 すると、東宮はくすっと笑い、おっしゃいます。
「ああ。梨壺といえば、梨の木の印象が強いが、ここには、あとは紅梅、藤、菊などもあるからね」
「ええ、そうですね」
 くすくすくすと、お二人は笑い合われます。
 そして宮様は、その手にあった花びらを、ふっと息を吹きかけ飛ばされました。
 その花びらはふわふわと宙を舞い、また庭へと消えていきます。
 消え入るまで、それをお二人で見ておられました。
 肩を寄り添わせたそのお姿は、幼い頃よりずっと一緒に過ごしてきた、仲のよいご兄弟のように見えました。
 そこに流れる空気は、とてもやわらかなもの――
「そうそう。宮。今度こっそり抜け出して、町へ連れて行ってくれるのだろう?」
 桜の花びらが消えると、すぐにくるりと宮様へと首をまわし、目を輝かせながら東宮がおっしゃいました。
 すると宮様は、一瞬ぽかんとお口を開けられ、そしてにやりと微笑まれます。
「ええ、もちろん。お約束ですからね」
「そうか。楽しみだな」
 にかっと、まるでいたずら小僧のように、東宮は笑顔をお見せになられました。
 そのような東宮のお顔をご覧になり、宮様はまたぽかんとお口を開けられます。
 どうやら、宮様にとっては、この東宮の反応は、驚かされるものばかりだったようでございます。
 このように、決しておごることなく、親しく話しかけてくださる、微笑みかけてくださる東宮が……弟宮が、いつしか愛しく感じるようになっておられたようでございます。
 そう、それもさして時を要さずに――
 幼くして母君を失い、不憫に思われた帝によって、帝の妹宮、女四の宮とご一緒にお暮らしになられるようになった宮様。
 それはそれで、愛情をたっぷり注がれ、とても幸せな日々をすごしておられました。
 しかし、同年代の人間との触れ合いは、これがはじめてだったのでございます。
 さらにはそれが、ずっと会いたいと思っておられた血を分けた弟君。
 ですから、少し戸惑い気味のところがおありだったことも、また事実でございます。
 後ろ盾を失い、逃げるように宮中を去っていかれた宮様に、何の偏見もなく、心から笑いかけてくださる東宮。
 そのような恵まれた血筋、立場におられながら、決しておごることなく……。
 そして、もうそう呼んではくれまいと諦めていた「兄君」――
 それだけで、宮様の心はいっぱいです。幸福感に満たされております。
 もう、このまま死んでもよいと思うほど、それはそれは宮様のお心を幸せな気持ちで満たしていくのでございます。
 東宮とのこの何気ない触れ合いによってもまた――
「しかし、これでは何かと厄介ですね」
 何の前触れもなく、いきなり宮様はそうつぶやかれました。
 もちろん、東宮は首をかしげておられます。
 そのような東宮のご様子に、宮様は肩をすくめられます。
「ああ、ですから……東宮に宮。これでは、すぐに素性がばれてしまいます」
「そうか……。お忍びだからな。それは困ったな」
 東宮はそうつぶやかれると、腕組みをし、真剣に悩みはじめてしまわれました。
 そのお姿がまた、宮様にはとても愉快に見えておられたようです。
 くすりと笑い、東宮にご提案されます。
「こういうのはどうです? 我々にだけ通じる……遊ぶ時だけの名を作るというのは?」
「ああ。それはいいね。どのようなものにする?」
 東宮は、宮様のご提案に、何のためらいもなく、即座に同意されました。
 やはり、きらきらと目を輝かせ、楽しそうに。
 そのような素直な反応をお見せになる東宮が、少しねたましく思えたのもまた事実でございます。
 自分はそのような素直な人間では、無垢な微笑みを浮かべられる人間ではないと思っておられたばかりに。
 事実、宮様は、東宮ほど恵まれたお立場にはおられなかったので、十二歳というその年で、すでに人並みはずれた英知を身につけておられました。
 この辛く厳しい世の中を渡っていくために。
 それが、一時、失脚の危機にあった親王の、悲しい定め――
 宮様のその長けた頭脳は、まことしやかにささやかれる、神童という言葉がそれを物語っておりました。
 また同時に、不思議な童とも言われておられましたけれど……。
 後に、元服し、正式に出仕をするようになられてからは、困ったちゃんと呼ばれるようになる片鱗が、すでにこの時から存在していたのでございます。


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update:03/11/25