ひかりたわむる
(ニ)

「そうですね〜……ここは一つ、遊び心など取り入れて……」
「取り入れなくていい」
 即座に、馬鹿にしたように、ため息まじりに東宮がおっしゃいました。
 すると、宮様は少し驚いたようなお顔をされ、くすくすと笑われます。
「おやまあ。それはつれない」
 にたにたと微笑む宮様を横目でちろっと見られると、東宮はまたあてつけがましく大きなため息をもらされました。
 そして、何事もなかったように続けられます。
「それで、何かあるか? ……そうだな、わたしがお前の名を考えるから、お前はわたしの呼び名を考えてくれないか?」
「ええ、それはかまいませんよ。もちろん」
 宮様はにっこりと微笑み、同意されます。
 すると東宮は、にこっと微笑み、再び腕組みをして思案顔をされました。
 お口をへの字に結び、なんとも愉快なお顔をされておられます。
 もちろん、東宮のそのお顔をご覧になり、宮様はぷっと吹き出してしまうのを必死でこらえておられるご様子。
 それに、東宮はまったく気づいておられません。
 う〜んむ〜んとうなりながら、真剣に考え込まれております。
 まこと、真面目な東宮さまでございます。
「そうだな〜……。それじゃあ……(あおい)というのはどうだ?」
「嫌です」
 考えて考えて考え抜いた東宮のお決めになられた呼び名を、一刀両断とばかりに、宮様さまはさっくりと切り捨ててしまわれました。そのようなあっけない一言で。
「お前ね〜……」
 もちろん、東宮は恨めしそうに宮様をにらまれます。
 つんとお口を突き出し、ぷうと頬をふくらませて。
 すると宮様は、何とも哀愁漂うお顔をされ、ふっとお庭で舞い落ちている桜の花びらへと視線を注がれます。
 この時の宮様のこの態度、恐らく、東宮にはこの上なく癪に障ったことでございましょう。
 すいっと再び東宮に視線を戻されると、けろっとこうおっしゃいました。
「だって、葵など女みたいではありませんか。祟り殺されるなどまっぴらごめんですよ」
「おい。それは、物語の中のことだろう!」
「わかりませんよ?」
 宮様は、にやりと、不気味な笑みをたたえられます。
 それをご覧になった東宮は、半分泣きそうなご様子で、頭を抱えられました。
 まったく……これが自分の兄なのか? 本当に……と、うなだれておられます。
 その横で、やはり宮様はおかしそうにくすくすと笑っておられました。
「ああ、はいはい」
 東宮は、もういいとばかりに、頭を抱えたまま、あいたもう一方の手で、ひらひらと手を振って見せられます。
 そして、何かにふと気づかれたようにお手をとめ、つぶやかれました。
「――光の玉?」
「はい?」
 宮様ならまだしも、東宮のこのお話のとびっぷりに、宮様は首をかしげられました。
「ああ、いや、ごめん。ほら、そこを見てごらん。木々の間からもれる光が、まるで玉のように見えるだろう? ――あ! そうか。これならどうだ? 葵瑛! 葵に光の玉の瑛と書いて、葵瑛だ!」
 東宮は目をきらきら輝かせ、得意げに宮様を見つめられます。
 すると、宮様は目を見開き驚かれ、そしてくすっと少し困ったように微笑まれました。
「……ああ、それならばよいですね。綺麗な名です」
 そして、半分仕方がないな〜とばかりに、賛成されました。
 もうそろそろ承諾しないと、東宮が完全にすねてしまわれると思われたのでございましょうか。
 また、その目には、とても優しい光がこもっていたことを、果たして東宮は気づいておられたのか……。
「だろう?」
 東宮は、にんまりと、満足げに満面の笑みを浮かべておられます。
 ふふんと、得意げに笑うなどして。
 それが宮様……葵瑛さまには、とてもほほえましく見えておりました。
 ああ、我が弟は、なんと素直なのだろうと――
「それで、次はお前の番だぞ?」
 ひとしきり得意げに笑われたかと思うと、ずいっと身を乗り出し、葵瑛さまの目をとらえ、にっこりと微笑まれました。
 すると葵瑛さまは、東宮に負けないくらいにっこりと微笑み、東宮の両肩をすっとつかまれました。
 そして、にやりと不気味に微笑まれます。
「ふふっ。わたしはもう決まっていますよ」
「へ……?」
 予想外の葵瑛さまのお言葉に、東宮は一瞬たじろぎ、そしてひくひくと頬をひきつらせました。
 何か、とてつもなく嫌〜な予感がするとばかりに。
 ここ数日しか同じ時を過ごしていなくても、この兄宮の普通と違ったくせのあるご性格を、すでに見抜いておられたのです。
 さすがは、後に切れ者とうたわれる東宮でございます。
 ぞっと、背筋に悪寒がはしります。
「太陽の陽。この字は絶対にはずせません」
 葵瑛さまは東宮の目をじっと見つめ、きっぱりとおっしゃられました。
「は? 何故?」
 東宮はさらに嫌〜な予感にかられましたが、そう聞き返さずにはいられなかったようでございます。
 この先は聞きたくないけれど、怖いものみたさではないけれど、思わずその言葉が口をついていたのでございます。
「だって、あなたはわたしの太陽ですから」
 にこっと微笑まれたかと思うと、次の瞬間には、けろっとそのようなことをおっしゃられていました。
「は〜い〜!?」
 もちろん、東宮のお口からもれるお言葉は、そのような教養を欠いたものでございます。
 東宮にはあるまじき、品のない反応でございます。
 まあ、それほどまで驚かれてしまった……ということで、ここはご容赦くださいませ。
 しかし、やはり葵瑛さま。東宮にはかまわず、たんたんと続けられます。
「それに、あなたはいつか、この国の太陽になられるお方。天子になられるお方……」
「お前〜、それはあまりにも……。ああ、もう。恥ずかしいからやめろよう……」
 東宮はぷいっとお顔をそむけられると、また頭を抱え込んでしまわれました。
 そのお顔いっぱい、耳まで真っ赤に染めて。
「あ! それ、いただきました」
「は?」
 ぽんと手を打ち、やはり何の脈絡なく、葵瑛さまがおっしゃいました。
 すると東宮は、ぐるりんとお顔を戻され、怪訝そうに葵瑛さまを見つめられます。
「ですから、よう=B――陽楊というのはどうですか?」
 ぴんと右手の人差し指などを立て、得意げに微笑まれます。
「陽楊……。まあ、別に悪くはないと思うけれど……」
 どこかしっくりしないといったご様子で、東宮は眉を寄せられます。
「では、決定ですね?」
 葵瑛さまはそうおっしゃり、まだ納得がいかれていない東宮……陽楊さまに、にっこりと微笑まれます。
 有無を言わせず。そこには反論の余地はないとばかりに、にっこりと。
 本当は……そのようなものではなく、葵瑛さまのお心には、もっと別なものがございました。
 あの時、はじめて東宮とお会いになられた時、「兄君と呼ばれますな。もはや我々は、別の次元で生きている者――」とおっしゃられた葵瑛さまに、陽楊さまが即座に返されたお言葉が胸に響いておられたのです。
 そして、その言葉が忘れられず、よう≠ニいう響きが生まれました。
 楊。それは、柳を意味する文字。
 柳のようにしなやかに、そして、優しく木の下にいる者を包み込むようなぬくもりがそこにあったから……。
 柳、それは陽楊さま。そして、その下にいる者。それが、葵瑛さま――

「じゃあ、友達になろうよう」

 少し語尾をのばした、甘えたような口調。
 さながら、弟が兄に甘えるようなしぐさ。
 それが、葵瑛さまには、とても嬉しく、愛しく感じておられたとか。
 はじめて感じた、兄弟の慕わしさ。
 そして、そう言った少年が、まるで陽の光のように葵瑛さまには見えておられたとか……。
 後光のように陽の光を受けた、きらきらきらめく尊き方――


 数日後、葵瑛さまと陽楊さまはお約束通り、お忍びで町へと繰り出しておられました。
 朱雀大路を、てくてくと徒歩で南下しておられます。
 春の陽光の中、行きかう人々は皆、生き生きとしているように、葵瑛さまの目にも陽楊さまの目にも映っておりました。
 とりわけ陽楊さまに関しては、はじめての町。
 新鮮で楽しくて、心弾んでおられました。
 そのお姿を、葵瑛さまはやはり、微笑ましく見ておられました。
 無邪気にはしゃぐ、弟君を――
 そのような葵瑛さまと陽楊さまのお耳に、突如悲鳴のような叫びが飛びこんでまいりました。
「きゃあ、姫さま! もっとおとなしくしていてください。いくら久しぶりのおでかけだからって、はしゃぎすぎです! それでは、棗が車から落ちてしまうではないですか!」
 見ると、すぐ後ろを、質素だけれど決してみすぼらしくはない牛車が近づいてきておりました。
「ふん。棗が落ちたところで、わたしは痛くもかゆくもないわ!」
「姫さま〜!!」
 牛車から聞こえるそのあまりもの暴言に、葵瑛さまも陽楊さまはあっけにとられてしまいました。
 しかしすぐに、葵瑛さまはくすくすくすとおかしそうに笑いはじめられます。
「あ、あれは? 何とも元気な姫君のようだね?」
 多少たじろぎながら、陽楊さまは困ったように微笑み、そうおっしゃいました。
 すると、葵瑛さまはぴたっと笑いをやめ、目を閉じられます。
 そして、一呼吸おいた後、うっすらと目を開けられながら、
「左大臣家の香姫ですよ」
さらりとそうおっしゃられておりました。
 さらりとおっしゃられたそのお言葉の中にも、たしかにかの姫君に込める葵瑛さまのいたずら心がのぞいておりました。
「え……?」
 陽楊さまは、怪訝そうに葵瑛さまをじっと見つめられます。
 そうしているうちに、牛車は、きゃっきゃっと楽しそうな笑い声をもらしながら、お二人を追い越していきました。
 その牛車を見送ると、葵瑛さまは、今もって面食らっておられるような陽楊さまに、すっと手を差し出されました。
「さあ、行きましょう。桜を見に行くのでしたよね?」
 何事もなかったとばかりに、さわやかな微笑みを向ける葵瑛さまに、陽楊さまは少し困ったように肩をすくめられます。
 そして、ふうとため息をもらし、微笑まれます。
「ああ!」
 ぱちんと音を立て、葵瑛さまの手に、陽楊さまの手が重ねられました。
 そうしてお二人、手に手を取り、桜舞う都を、元気よくかけていかれました。


 東宮のその笑顔は、きらめくような笑顔は、宮様の心をあたたかく包むのです。
 この時から、宮様のお心には、ある思いが生まれはじめておりました。
 それは……それから十年程の後に、かたちとなって現れることでございます。
 同時に同じ姫君に懸想してしまわれたにもかかわらず、だんぜん宮様の方が自由がきき、優位な立場におられたにもかかわらず、東宮の憂いを気の毒に思われ、思わず――
 それはまた、別のお話でございます。
 そう、これより十年程後、同じ桜の舞う頃のお話――


ひかりたわむる おわり

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update:03/12/01