しあわせひとつ
(ニ)

「そうだ。くるなと言っておいたのに、結局来たのだな。お前は。お前がいると、香子の風邪が余計にひどくなる」
 香姫さまを抱かれたそのままで、しっしっと葵瑛さまを追い払うように、陽楊さまがお手を振られます。
 陽楊さまの前へ、葵瑛さまは、そのようなものは気にもならないとばかりに、すとんと腰を下ろされました。
 しかも、涼しいお顔などされて。
 こうなってしまっては、葵瑛さまは、満足されるまで、こちらからてこでも動かないことでございましょう。たちの悪いことに。
 ですから当然、「はあ……」とお二人分の重いため息がもれます。
「おや? それではまるで、わたしは、悪霊悪鬼(あくりょうあっき)魑魅魍魎(ちみもうりょう)のようではないですか」
「そのものじゃないの? しかも、すごくたちが悪いの。この祈祷にもものともしていないようだもの」
 じろりと、やはり憎らしげに、香姫さまは葵瑛さまをにらみつけられます。
 当然、陽楊さまの腕の中から。
 そこにいらっしゃるのが当たり前と言わんばかりに。
 そのような香姫さまを、葵瑛さまは嘲笑するようににやりと見られます。
「へえ。しかし、それはあなたではありませんか? 本当は、このような祈祷、邪魔なだけではないのですか? 『ただでさえ頭が痛いのに、これでは余計に頭が痛くなるわ』などと思っていらっしゃるのではないですか?」
「う……っ。ど、どうしてそれを……」
 葵瑛さまのそのようなお言葉に、香姫さまはたらりと一筋の冷や汗を流されます。
 多少慌てたように。
 ――ず、図星でございますか……。
 さすがと申しましょうか。もののけの仕業といわれている病を治すための祈祷ですらも、そのように思っていらっしゃるとは……。
 香姫さま。あなたさまは、ある意味、もののけよりも強い姫君かもしれませんね?
 いえ。もののけでございますか?
 祈祷のために、余計に頭痛を感じてしまわれる……という辺り。
「ふふっ。わたしはね、あなたのことなら何だって知っているのですよ」
 葵瑛さまは、期待通りの反応をされる香姫さまに気をよくされたようでございます。
 ご機嫌に、ご満悦顔でございます。
 ぱらりと扇などを開き、その内でくすくすくすと笑われたりなどされ。
 当然その目は、にやりと陰湿に光っておりますけれど。
 嗚呼。もう、まったく……。この方々は……。
「嘘を言うな。そのようなもの、誰でもわかることだ」
 葵瑛さまのお言葉に、即座に陽楊さまがさらりと言ってのけられました。
 陽楊さま……。それはあまりにも……。
 たしかに、香姫さまのことなど、陽楊さまにとっては容易におわかりになられるのでございましょうけれど……。
「まあ、陽楊さま! それじゃあまるで……」
 当然、香姫さまの逆鱗に触れられてしまうのです。
 だから、言わんこっちゃないのですよ。陽楊さま。
 触らぬ香姫さまにお怒りなし……ですのに……。
 香姫さまを怒らせてしまわれては、陽楊さまの幸せなひと時も終わってしまいますよ?
 その手からするりと抜け出られ、もう香姫さまをぎゅっと抱き寄せられなくなってしまいますよ?
 よろしいのですか? 陽楊さま。
 しかし、今回はどうやらそうはならないようでございます。
 それは多分に、香姫さまがお風邪を召されている……ということが影響しているようでございますけれど……。
「はい。待った。少しはおとなしく寝ていなさい」
 そのような強気な態度に出られたのです。あの陽楊さまが。
 香姫さまにめろめろで、香姫さまに逆らえない、あの陽楊さまが。
 だめっぷり全開の、あの陽楊さまが。
「ええ〜っ!!」
 当たり前のように、そのように、香姫さまの不平がもれます。
 ぷうと頬をふくらませ、つんとお口をとがらせて。
 陽楊さまは、そのような香姫さまのお口に、ちょいと人差し指をあてられます。
 「しっ」と、香姫さまを黙らせるように。
「これは、東宮命令」
 そして、じっと見つめられます。
 それは、陽楊さまにはあり得ない、有無を言わせぬ光をはらんだ目でございました。
 ですから当然、いつもと違う陽楊さまに、香姫さまは悔しそうににらまれます。
「横暴。権力反対」
「はいはい。わたしたちが見舞いに来たせいで、余計に風邪をこじらせたら事だからね。もうすぐ入内も控えているのだし、早く元気な姿を見せて欲しいな」
 そのように甘く優しいお顔で微笑み、おっしゃられます。
 結局、そういうことなのですね。陽楊さま……。
 まったくもう、あなたというお方は……。香姫さま第一なのでございますから。
 ですから、香姫さまは「う……」とお口をつぐまれ、恥ずかしそうにぷいっとお顔をそむけられました。
 当然、そのお顔は真っ赤に染まっております。
 そして、悔しそうでございます。
 いつもなら、手のひらの上で転がすようにからかって遊べる陽楊さまが、本日は思い通りになってくださらないのですから、むしろ、陽楊さまの方が上手のような気がしてならないのですから、それはいたしかたないのかもしれません。
 陽楊さまも陽楊さまで、嬉しそうに得意満面の笑みを浮かべておられます。
 よかったですね。もしかしたら……これは、一年ぶりくらいではないでしょうか?
 陽楊さまが香姫さまの優位に立つ、というそのようなことは。
 それはそれは、葵瑛さまとご一緒になり、思う存分遊ばれておりますから。香姫さまは。陽楊さまで。
 そして、そのように少し厳しくも、のろけがたっぷりこめられたお言葉の裏には、実はもっと違った、陽楊さまの本当の思いが隠されております。
 そのようなことよりも何よりも……陽楊さまはただ、このようなことを願っておられるのです。
 このような時くらい、甘えて欲しいなと。
 たくさんたくさん甘えて、たくさんたくさん触れ合って。
 そして、香姫さまのお心は、陽楊さまであふれかえる……。
 そのような、めまいを覚えるくらい、ふざけたことを望んでおられるのです。陽楊さまは。
 何しろ、その目が切にそう願っているのですから、わからないわけがございません。
 当然、そのような陽楊さまをご覧になられた葵瑛さまは、ひくひくと頬をひきつらせておられます。
 あまりにもめろめろな陽楊さまのそのお姿にあきれ返られて。
 葵瑛さまなど、もうすでに眼中にもないようでございます。
 陽楊さまに見えるものは、ただお一人。香姫さまだけ。
 あの葵瑛さまをあきれ返らせてしまえる陽楊さまは……もしかして、香姫さまよりも、葵瑛さまよりも、最強かもしれません。
 そして当然、香姫さまも、陽楊さまのそのような思いに気づいておられました。
 その目を見つめられ、そこにこめられた願いを、ぴんと察せられたのです。
 それにより、くすくすくすとこみ上げてくる、嬉しいやら幸せやらのお気持ちをぐっとこらえられます。
 そうして香姫さまは、そのような陽楊さまのささやかな願いをかなえてあげるべく、行動にでられます。
 いいえ。それは、願いをかなえてあげるを口実に、本当は香姫さまがお願いされたいことだったかもしれません。
 何しろ、それは演技では決してできないくらい、甘い甘い目をされていたのですから。
 あまやかに、陽楊さまを見つめられます。
 そして、もらされたお声もまた……あまくすがるようでございました。
「陽楊さま……。少しだけ……」
 そのようにおっしゃり、香姫さまを抱き寄せる陽楊さまのお膝の上へ、ちょこんと座られます。
 そして、幸せそうにその胸へ頭を預けられます。
 するりと陽楊さまの首に腕をまわされながら。
「こ、香子!?」
 突然の、先ほどの陽楊さまの「口移しで」に匹敵するほどの香姫さまの大胆な行動に、陽楊さまはどぎまぎとしてしまわれました。
 心の臓をばっくんばっくんと高鳴らせ、ぎゅうと香姫さまを抱き寄せて。
「少しだけだから……。だめ? 陽楊さま」
 そうして、上目遣いにちらっと陽楊さまを見つめられます。
 少しうるんだような瞳で。
 さらには、すがるような猫なで声で。
 ですから当然、陽楊さまは……。
「だ、だめではないけれど……」
 そのように上擦ったようにお声をもらされます。
 お言葉通り、そのお体も「だめではない」と、さらにぎゅうと香姫さまを抱きしめられ、ぽすっと香姫さまの御髪にお顔をうずめられます。
 香姫さまを堪能されます。
 陽楊さまのお心は、胸いっぱいの幸福感に襲われました。
「じゃあ、いいのね? 嬉しい」
 そうおっしゃると、くすくすくすと、本当に嬉しそうに香姫さまは笑われます。
 嗚呼。もう、勝手にしていてください。うっとうしい。
 いえいえ。それよりも、よろしいのですか? 香姫さま。
 そのように陽楊さまを喜ばせすぎて……。
 本日の香姫さまは、少し、いいえ、かなり、陽楊さまに甘すぎるのではないですか?
 まあ、恐らく、それは熱にうかされ……なのでございましょうけれど。
「気持ちいい。なんだか、こうしていると、風邪も一気に吹き飛んでしまいそうよ? 陽楊さま」
 きわめつけに、香姫さまのお口から、そのようなお言葉があまくもれました。
 ですから当然、陽楊さま、一撃必殺。
 ちゅっど〜んとばかりに、やられておしまいになりました。
 再起不能。
 幸せすぎて、昇天してしまったような心地になられたようでございます。
 それにしても……どうやら、香姫さまには、陽楊さまがいちばんの特効薬のようでございますね。
 陽楊さまにぎゅっとされるだけで、お風邪が治ってしまいそうだなどとは……。
 まったくもう……。入内を控えたこのお二人は、時と場所も関係なしに、愛を乱舞させてくださるのでございますから……。
「勝手にしていてください」
 そのように、さすがの葵瑛さまにすら言わせてしまわれるのでございます。
 このお二人は。


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update:04/02/11